2011-01-01から1年間の記事一覧
『「夏」の帝の『真晝時』』(仏高踏派詩人Leconte de Lisle<真晝>:上田敏訳詩集《海潮音》より)と謳われた八月、聖地である避暑地に出かけるはずの英国の若者の姿が消え、ビーチから街中のバリケードに突進。政府の緊縮財政への怒りが暴動へとエスカレ…
最近President Obamaの動きや政策にほとんど触れなかった。1つにはOFA(Organizing for America)からのメールがこのところ激減傾向にあるからだ。 直近の<2012 BARACKOBAMA. COM>から届いたCampaign Manager, Jim Messinaの8/2付emailのタイトルは“Here's the …
銀座へ「小川の辺」を観に出かけた。丸の内Toeiでの千秋楽である。都内や近く埼玉のシネコンの映画案内を見ると、ロードショーはほぼ終わっている。 この種の邦画は二番封切館を探すのが難しい。劇場映画化された藤沢周平モノ8本目の作品である。監督は篠原…
先月23日に起きた中国版Bullet Trainの事故で大きく浮き彫りなったのは何だろう。犠牲者約40名、負傷者150人以上に加えて行方不明者が分らないという当局。、衝突車両をあっと言う間に解体し土中に埋める異様な行動に出たかと思えば、cover-up(証拠隠滅)だ…
東北電力圏内で暮らしていた人たちの地方に居すわっている福島原発の持ち主は東京電力。そのことは先刻承知しているが、肝心の管内中心首都圏には東電の原発ゼロには恐れ入る。ショバ荒らしか他人の褌(フンドシ)で相撲を取ろうと云うのか。虫のいい話だ。 …
先日、「ゆうちょ銀行」にでかけたら女子“行員さん”の制服の袖に≪がんばれ東北≫。MLBで活躍する松井選手所属のOakland AthleticsのホームグランドOverstock Com. Coliseumのバックネットに日本語でデカデカと「がんばれ日本」のAdvertisement Board。 “日本…
ノルウェイでまさかの惨劇。Nobel平和賞授与の都市オスロで犠牲者を悼む10万人行進が行なわれた。 人口480万人の国である。48人に一人がバラを携え犠牲者の追悼に集結した。首相が「みなさんはここに参加することで『民主主義にイエス』とはっきり表明してい…
The Nadeshiko Japanを漢字で書けば“大和撫子”(ヤマトナデシコ)となろう。ルーツは古事記や日本書記に登場する女神「クシナダヒメ」の異名であり、植物「カワラナデシコ」(河原撫子)の異名でもある。日本人女性の清楚な様子や美しさを褒め称える比喩とし…
小柄で身体能力に劣る日本女子チームがW杯を勝ち抜くのは無理だとするのが大方の予想だった。この見方を見事に裏切った。 20年以上に亘り、サッカーW杯や五輪をレポートするThe Int. Herald Tribuneのcolumnist、Rob Hughes氏は“A team challenged for size …
“Women's World Cup: Japan upsets U.S. in a penalty kick shootout to the championship”--The Washington Postのベタ記事の凡庸なHeadline。女子サッカーW杯の米国チーム敗北の悔しさを滲ませる。 USA Todayも悔しそうだ。Japan seizes the World Cup as …
日本の小中高は7/21から夏休みがスタート、期間は40日が通例だが、今夏は様変わりする。3/11の影響で、被災地に限らず、首都圏も大学の大半はsummer holidaysを短縮する模様だ。が、経産省とTEPCOから節電を求められている時節柄だけあって、当局も頭が痛い…
昨日午前、仕事部屋でかなり長い揺れがあった。多摩地区は震度(seismic intensity=Japanese earthquake scale)は2だったが、案の定、震源地(epicenter)は三陸沖、7.3-magnitudeの広域地震、北海道〜近畿に及ぶ。専門家筋は3/11の余震(aftershock)はまだま…
本日A紙<読書>欄での同紙編集委員の指摘を待つまでもなく、近頃の書店には新刊の原発本が山積みだ。大半は3/11後に出た本だが、いま読んでいる3/11の現地ルポ『津波と原発』は別格だ。著者の佐野眞一氏が執筆の動機を語る。 「この話が編集部からきたとき…
「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに、まじめなことをゆかいに、そしてゆかいなことはあくまでゆかいに」--昨年4月逝ってしまった井上ひさしさんの余りにも有名な座右の銘である。 哲学的…
迂闊に夕刻外出するものじゃない。5時過ぎに予約しておいた駅前のクリニックに出かけた。待合室が汗ばむ。特殊な温度計が取り付けられている。28℃。薬局も薄暗い。駅の改札口も暗い。イヤに暗いと思ったら突然外は暗雲、否、風雲急を告げる。雷雨だ。夕刊を…
Tepcoから学校あて節電協力要請が届いた。ペーパーレス推進中のところへ今度はパワーレスということか・・・。「適光適所を考えよう」「適温適所に知恵を巡らせよう」と今日のA紙社説は旨いことを言うが、喜んでいるのはTepcoを初め、国内に居坐るPower Plan…
60年代半ばの赤坂は威勢が良かった。東京五輪の64年仕事場が赤坂にあった。TBSが目の前に見える「水戸幸ビル」なるマンションに通って、TV外国映画の日本語版(吹き替えモノ)制作に悪戦苦闘していた。マンションという高級長屋が 登場しだしたのもこの頃だっ…
Peter Falkが逝った。LA市警殺人課の敏腕刑事を温かく演じて、長く人気を博した。ボサボサ頭でヨレヨレのレインコートが良く似合った。『車にレインにコート−にわたしのこのツラ、これだけそろってりゃと十分だ』と自伝で云っている。 現代旧シリーズ“Columb…
真夏日どころか酷暑の到来だ。39℃以上が全国で5ヶ所。埼玉は残酷だ。熊谷で39.8℃とrecord breaking。High Noonの街中、直射日光が当たる場所では45℃と云うから先が思いやられる。 一方で豪雨。上高地がやられた。東北地方が気になる。今度は被災地でなく秋田…
Fukushima Nuclear Plant事故を機に、脱原発・原発開発停止が世界の潮流になり加速化しつつある。 海外メディアはJapan Nuclear Crisis(原発・放射能クライシス、ニッポン)として警戒感を強めている。 EU圏では脱原発王国としてドイツが先頭を切っているが、…
南シナ海に100以上の小島が浮かんでいる。人が住めないが海底資源が豊富だ。 Spratly Islands(南沙諸島)。石油、天然ガス、鉱石などに目をつけ、領有権を巡って論争が絶えない。 1988年3月14日、Spratly Islands naval battle(スプラトリー諸島海戦)が起き…
Communist Party独裁のVietnamではデモは許可されていない。にも拘らずハノイやホーチミンで小規模ながら連日デモが発生している。 anti-China protest反中抗議デモだ。スローガンは“Stop Violating Vietnam's Territory”。5月下旬に中国船がベトナムの探査…
反原発・脱原発の動きがEU圏で加速化している。発火点となったトラブル・メーカーの日本でも抗議運動が活発化しつある。町おこし、村おこしを狙いに原発を誘致した市町村の心理は複雑だろう。 穀物・野菜・魚などの放射能汚染が心配だ。神奈川県ではお茶の葉…
朝から小止みなく雨が降り続いた。お昼頃やんだがすっきりしない11日だった。 6月11日、手を合わせ、頭を下げ黙祷。この日が巡って来ると思い起すだろう。3ヶ月前の11日と3ヶ月後の11日(11-09-01)のことを。9/11が世界を引き裂いた。3/11が日本の進み行きに…
青森、岩手、宮城の三県にわたる三陸沖大津波が明治〜昭和に3回起きている。 吉村昭氏の『三陸海岸大津波』を読んだ。大津波に遭遇した人たちの生々しい証言と記録に震撼させられる。 明治の大津波が来たのが旧暦端午の節句、昭和8年の大津波は3月3日桃の節…
3/11大地震による戦後最悪の惨事の元凶は何といっても太平洋三陸沖地方を襲った巨大津波だ。 「津波」がtsunamiとしてEnglish Dictionaryを初め国際用語に登場したのは20世紀、1907年のことだ。great sea wave produced by submarine earth movement or volc…
大津波の危険性に対する過小評価、原発melt downの情報隠し、事故に対するバックアップ・システムの欠如など、いずれを取ってもPM Kan政府とTEPCOのお粗末さと無責任さには唖然とさせられる。 それ以上に目も当てられないのが、PM Kanに対するconcentrated f…
被災地、東北の受難者たちの“忍耐強さ”に驚嘆し、“これぞ人間としての尊厳・日本人の恥の文化の典型”だと海外から崇拝の声が頻りと聞こえてくる。 阪神淡路大震災は“日本の安全神話の崩壊”と過信していたインフラの脆さが浮き彫りになった。日本人の辛抱強さ…
“亡くなられた方々”のお名前が今日も37頁(A紙)の左隅に敬称略で掲載されている。犠牲者が1万5千人を超え、行方不明者がおよそ9千人。犠牲者が見つかれば、行方不明者の数が減ってゆくのか。ボクにはそう思えない。 今なお肉親を捜し続ける方たちがいる。哀れ…
通夜にあの篠沢先生も車椅子で来られた。侘しいことだ。 昨日最後のお別れとなってしまった児玉清さん、学習院大独文科の大学院へ進むつもりであったのが、大学卒業式当日、お母さんが急逝。突如、就職の道を選ぶことになった。困ったことにほとんどの企業は…