東北の偉い人たち

被災地、東北の受難者たちの“忍耐強さ”に驚嘆し、“これぞ人間としての尊厳・日本人の恥の文化の典型”だと海外から崇拝の声が頻りと聞こえてくる。

阪神淡路大震災は“日本の安全神話の崩壊”と過信していたインフラの脆さが浮き彫りになった。日本人の辛抱強さはさほど話題に上らなかった。
東北にはいたるところに今も『おしん』が存在する。『おしん』が象徴する東北は、雪と貧しさに悩まされ、ズーズー弁を使う人たちが、忍耐強く住む地方のイメージである。“文化果つる辺境”のイメージである。

文化とは何か? 支配者が住む中央がその国の文化の中枢部なのだろうか。現在は東京を中心とした首都圏、その昔は奈良、京都、大坂を中心とした畿内だったのか?
ボクは、小学生のころよく祖母に連れられ京都の鴨川の川べりや高瀬川沿いの路地を歩いたものだ。祖母は、戦後没落商家になれ果てた呉服屋の祖父に嫁いで来た明治(21年=1988年生まれ)の女だ。ヒマを見ては、品良く身なりを整え、愛用の下駄を引っ掛け街中に孫を連れて出かけるのが好きな、粋なヒトだった。

祖母は京都をいつも“京”と呼んでいた。そして、東京や関東を“東国”と呼び、『いずれ天皇陛下は京に戻られる』が口癖だった。
祖父のほうはと云うと謹厳実直なヒトだった。65歳で死の床に就いた。小1のボクを枕元に呼んだ。『えらい人になれ』
最期の言葉だった。今もって背中に重たくのしかかる。
広辞苑をひくと、えらいというのは①すぐれていること、②人に尊敬される立場にあること、を指すらしい。そして社会通念としては、えらいという場合、人に尊敬される立場にあるというほうにアクセントがある。才能があって人にすぐれていても、社会的に名前を知られないと、世間はなかなかえらいとは認めてくれないのである」
藤沢周平さんの『周平独言』からの引用だが、こんなえらい人にはなれるワケがない。
周平さんが付言している。「...人は往々にして間違う。テレビや、新聞、雑誌などで名前が売れているから、えらいというふうに。だが実際には、名前が売れている空っぽな人もいれば、無名のほんとにえらい人もいるのである」


周平さんは生粋の東北人だ。自ら性格に片ムチョなところがあるという周平さんはえらかった。69歳で逝ってしまった周平さんの告別式で名弔辞を読んだ丸谷さんも、佐高さんも、そして鬼籍に入ってしまった井上さんもえらい人たちだ。
東北には実にいい顔をした無名のえらい人がたくさんいる。かつて我が国文化の先進地だった東北が育んできたえらい人たちが。