お久しぶりです

1ヶ月ぶりである。
目下、中野好夫に凝っている。ShakespeareのJulius Caesarの訳書が良い。例の名セリフ"Et tu,Brute(ブルータス、お前もか?)の後の--Then fall, Caesar! (ぜひもないぞ、シーザー)が泣かせる。
ボクが畏敬する加藤周一の東大在学時代の英語教官が中野好夫だった。
加藤による中野評が『居酒屋の加藤周一 2』に載っていた---
「.........シェイクスピアを講義もしましたが、非常にいい翻訳もしました。........徳冨盧花の素晴らしい評伝も書きました。さらに、たくさんのエッセイ、政治・社会的なエッセイも書いた人です。著作者としては非常に範囲の広かった人ですね』面白い点が三点あるという。『第一点は日本語が非常にいいことですね。あれこそ現代日本文の鏡ですよ。なるべくわかりやすく、普通の言葉を使って表現しようとして、しかも明瞭です。<不退転>とか<粛々として....>とか、そういう消化不良の変な漢語を使ったこけおどしとは正反対だ。あれは日本語の散文の一つの手本じゃないかと思います』
そんなワケで中野好夫自身6年かけて書き上げたという『評伝 盧花徳冨健次郎』(全三巻)を思い切って読んだ。計13,00頁余に及ぶ大書である。毎日少しづつ、途中の挿話を飛ばさずに読み進み、付録の<盧花探訪拾遺>を除き、漸く昨日読了した。2週間以上かかった。評伝というより矛盾に満ちた作家盧花の稀有な人間像の全体を描いた伝記文学の白眉だといえよう。500頁以上の長編単行本が苦手なボクがまさに遅読ながらあまり苦にせず読み終えられたのも明快な名文だったお蔭だ。
数々の知らなかったことに気づかされた。それらを思いつくまま記しておこう--
何かにつけ5歳年上の兄、猪一郎(蘇峰)と比較され、賢兄愚弟と称された健次郎が雅号を盧花とした由来については諸説ある。が、随筆「自然と人生」の中の一編を「『盧の花は見所とてもなく』と清少納言は書きぬ。然も其見所なきを余は却って愛するなり」との書き起こしではじめている。要するに彼は盧の花がひどく好きだったからだろう。
話は飛ぶが、盧花健次郎は異常なまでに旅行好きである。旅先での心中は蠢き言動は多彩である。1919年(52歳)夫妻して世界周遊旅行に出る。4月、パレスチナからパリ講和会議の全権団数人(英ロイド・ジョージ首相 / 米ウイルソン大統領 / 日本の西園寺公望候 / ロンドン・タイムズ社)宛に公開要望書を郵送する。聖地エルサレムにあって深く第一次大戦の惨禍に思いを潜めたのであろう。要望書のなかに次のような提唱が見られる--③陸海軍全廃。人類再び相殺さずの決意を以て、一切無条件に陸軍及び海軍を全廃する。④税関撤廃。日の遍く照らし風の思ふまゝ吹く如く、世界の物貨の自由に流通せしめ、需要と供給と自然の調和をなさしめん為に、一切の人為的関門を撤去す。⑤国際貨幣の制定。万国共通貨幣は、形容、質、重量を統一し、其他の意匠を各国の自由とす。---
「断っておくが、わたしは別にこれを特に評価して紹介するわけでない。畢竟は書生の空理空論にしかすぎなかったろうからである」としながらも中野好夫氏は「.......理想の空論であることは、現在といえどもほぼ変わりない。だが、........軍備の全廃や貿易障壁の撤廃、通貨制度の根本的改革など、意義を新たにして、決して今日も消滅していないのである。実現の日はとうていいまだ早急には望めぬとしても、苦悩を通して問題自身は、いよいよ生きて動きつつある。稚拙ではあろうが、早い問題の先取りとはいえぬであろうか」と結んでいる。
100年前の盧花徳冨健次郎の<所望>を現代の政治家や文化人はどう感じるか?