惜--またも名匠・達人が・・

野球界の職人・名人キムタクの急逝に愕然としていたら、現代における稀有な戯作者の達人、井上ひさしさんが忽然と逝ってしまった。
先代金馬師匠に似た風貌がよい。あの笑いのなかでのゆっくりした語り口がよい。

「怖いのは、井上さんを失うことで、日本語むが壊れていくのではないか、ということです。それほど、日本語の素晴らしさを知り尽くして、芝居に生かされた方でした。・・残された言葉は無数にありますが、本当に何事も笑いに変えて、笑いが人の栄養になるのだということを私たちに教えてくれました」(演出家K.T氏)

同郷の作家丸谷才一さんが井上さん悼み、語っている「・・ひさしさんは伝統的な日本演劇の方法を受け継いで、それを新しくよみがえらせた。・・その井上版のカブキは、権力の横暴と愚劣によって民衆の苦しむ一時代が、奇抜な趣向で再現され、観客は、オンリー・イエスタデイの自分たちのみじめな滑稽さ、おかしな悲劇に笑いかつ涙する。そうすることによって、日本の近代という異様な時代の運命と直面するわけだが、重大なのはこの場合、作者の優しさである。彼はあらゆる作中人物に対して、敵役でさえ優しくいたわられている。たとえば、小林多喜二を取り上げた近作では、多喜二担当の巡査たちは、民衆の敵としてではなく、むしろ、生計を立てるためにこんな稼業に就くしかない、弱くて可憐な同情すべき庶民として現れるのだった。・・この劇作家は、歴史と云う怪物によって翻弄されつづけた昭和の日本全体の、あまり賢いとは言いにくい生き方をもちろん裁こうとしている。しかしあれだけ達者な芝居づくりの芸を持ちながら、わかりやすい対立の図式を持ち込もうとせず、むしろそれを排して、昭和史という愚行をなつかしむことにより人間を憐れむのが、ひさしさんの方法だった」

井上ひさしさんは、「明治大正昭和三代の時代小説を通じて、並ぶも者のない文章の達人」だと丸谷才一氏に言わしめ97年、69歳で他界したこれも同郷の藤沢周平さんへの追悼文≪別れの言葉にかえて 海坂藩に感謝≫のなかで述べている---
藤沢周平さん。藤沢さんが新作を公になさるたびに、私は御作に盛り込まれいる事柄を、私製の、手作りの地図に書き入れるのを日頃の楽しみにしておりました。とりわけ海坂藩城下町の地図は10枚をこえています。そのたのしみが、永遠に失われたかのと思うとほとんど言葉がつづきません」


ひさしさんも「九条の会」の中心メンバーだ。
一昨年暮れ、加藤周一氏をなくし、またひさしさんも逝ってしまった。
善き人が次々といなくなる。まだまだ多くのことを教わらなければらない先人が、76歳の名役者が、そして野球界の玄人職人が消えてゆく。
散りゆく桜花は“年年歳歳花合い似たり”だが、逝った人は帰還しない。行く春は惜しまぬが、惜しむべき逝く人が多すぎる。