不忠臣の嘆き・・

忠臣蔵の中にある我ら自身のどうしようもなく不気味なものをいちいちチェックして、それに対してこれは違うとか、そうじゃないとかいっておかないと思うんです」「忠臣蔵というのは推理の部分がたくさんあるということろがおもしろいところですね」
先日他界した、井上ひさしさんと佐藤忠男氏との1985年12月『青春と読書』のなかでのひさしんのコメントである。
ひさしさんは「不忠臣蔵「で≪武士の情けを知らぬやつ≫との世間の非難を甘受した梶川与惣兵衛頼照を取り上げている。
この梶川家御長屋住まいとなったのが、織田刈右衛門。実は正体は浅野内匠頭の遺臣岡田利衛門の偽名だったというからビックリ。


この利衛門曰く「わたしは今から三十年前まで、御直参梶川与惣兵衛の物書役を相勤めていたものである。この夏、大坂道頓堀西の竹本座で『仮名手本忠臣蔵』なる外題の浄瑠璃をなさると聞き、『梶川氏筆記』の写本を携え、はるぱる江戸より参上いたした。
参考になればこんなうれしいことはない。・・」と口上を述べる。
そして「なァ、口上も稀代(けったい)でっしゃろ。けど、梶川与惣兵衛はん、えらい反省してまんな。ドンケツでこないなこと言うとりまっせ。読みまひょか。
『此度の事ども後々にて存じ候に、内匠頭殿の心中察入候、吉良殿を討ち留め申されず候事、嘸々無念にありしならんと存じ候、誠に不慮の急変故、前後の思慮にも及ばず、抱きと止め候事、慙愧に堪えず深く恥じ入り候・・『」と結んでいる。

忠臣蔵の先入観を、想像力とユーモアで塗り替えよう試みる井上ひさしさんの真骨頂が窺える。