寡黙な秀作

銀座へ「小川の辺」を観に出かけた。丸の内Toeiでの千秋楽である。都内や近く埼玉のシネコンの映画案内を見ると、ロードショーはほぼ終わっている。


この種の邦画は二番封切館を探すのが難しい。劇場映画化された藤沢周平モノ8本目の作品である。監督は篠原哲雄氏、3年前、今回と同じく東山紀之を登用して『山桜』を撮ったが、率直言って凡作だった。周平モノの映画化はそう容易いものではない。概して台詞は少なく、他の追従を許さない自然風景が写実されている。自然描写を意識しすぎて、人物描写が平坦に押し流されてしまう。黒土三男監督の劇場映画『蝉しぐれ』もそうだったが、残念ながら原作の足元にも及ばない駄作になりねない。藤沢作品を原作に負けず劣らず映画化できるのは山田洋次監督ぐらいだろう。
著名人が鑑賞を薦めたこの『小川の辺』もあるいは“宣伝に偽りあり”かなと危惧しながら¥1000のシニア券で中央I列8番に坐った。金曜日の15:50、客席は5分の1の入り、年配客が多く学生・若者はゼロ。次々と予告モノをガンガンやられてウンザリした後、やっと本編という按配だ。


原作は70年代後半に書かれ、「闇の穴」(新潮文庫)所収の35頁程度の小品である。篠原監督は今回相当知恵を絞ったようだ。陰気で薄暗い冒頭部がいい。月番家老、助川権之丞の執務部屋の廊下に正座する下士、戌井朔之助が中に入る。茶を一口すすって月番家老が「や、待たせたの」。
原作以上に台詞を削ぎ落としている。藩主の政策に公然と叛旗を翻した藩士を討ち取るよう主命を受けた主人公戌井が同家若党の新蔵と出奔するロードムービー。そのため、道中の自然描写に無理がない。


討ち果たすべき相手が妹婿なのが非情だ。朔之助演じる東山に感情を押し殺した武士としての決意がみなぎる。妹の女流剣士を思わせる菊池凜子は笑わない。若党新蔵勝地涼が難しい役柄をこなしている。海坂藩を脱藩し追われる身となり最後に義兄と切り結び討たれる不伝流の達人、佐久間森衛を片岡愛之助が演じている。関西歌舞伎の隆盛に力を注ぐ叩上げ派の40歳前の歌舞伎役者だ。さすがに台詞、立ち姿、坐り姿にそして朔之助との立ち回りに重厚さと美意識が感じられる。脇役も芸他者で固められた『小川の辺』。地味ながら見ごたえがあった。




秀作は再映されれば何度も観たくなるものだ。20代のボクもそうだったが、小菅留冶(藤沢周平の本名)も学生時代映画の虫だった。「父は大学生の頃、山形市に下宿をしていました。当時の山形市には映画街があり授業が終わると一日一館ずつ見て、週の終りには最初の映画を見直す程の映画中毒でした。父は何度見ても新たな感興を呼びさまされる映画があると言っています」--周平さんのご長女、遠藤展子氏の回想である。
映画キチガイならずとも、今夏必見の映画が二本ある。邦画は今日6日封切の『一枚のハガキ』(新藤兼人監督)、外国映画は『黄色い星の子供たち』(La Rafle)、仏・独・ハンガリーで制作された女流監督ローズ・ボッシュ(Roselyne Bosch)の作品である。