Nuclear Plantsの白日夢

Tepcoから学校あて節電協力要請が届いた。ペーパーレス推進中のところへ今度はパワーレスということか・・・。「適光適所を考えよう」「適温適所に知恵を巡らせよう」と今日のA紙社説は旨いことを言うが、喜んでいるのはTepcoを初め、国内に居坐るPower Plantsだろう。


それにしてもTepcoにとやかく云われる筋合いはない。厚顔無恥と云うべきだ。
昨日“原発ゼロ”を目指す緊急行動が明治公園で開かれたが集会参加者は2万人。世界を震撼させたFukushima Daiichi nuclear plant crisis(福島第一原発危機)に遭遇しても、我が国民衆の反原発の反応は欧米諸国に比べてはるかに弱い。何故か。


“資源の少ない日本では原発開発は最高の選択”だと教え込まれ、ここ数十年、安全性と必要性を徹底的に叩き込まれせいだろう。
日本人は戦時中の大本営発表ではないが、御上(おかみ)の言うことに弱い。big companiesを無批判に信用し過ぎる。原発“safety myth”(安全神話)に洗脳されてきた。The NY Times Weeklyの“Japan's Nuclear Faith Was Built on Fantasy”(日本の原発信仰は白日夢)のHeadline。辛辣で的を射ている。

いまボクたちに必要なのは何か。「冷静な不安」、つまり、放射能に対する不安を忘れてはいけないが、同時に、どれほど危険かを冷静に見極める知力。そして、いったん放出されると抑えがきかない放射性物質に対し、理不尽な現実だが、理性をもって怒り、その根を断ち切る道を追求することだろう。我が国は地震頻発国だ。原発稼動再開を座視すれば、世界唯一の被爆国ニッポンが“放射能汚染列島”にならない保証はない。安全な原発など存在しないのだ。

28日<芝プリ>でのThe Stockholders' Meetingで噴出する原発批判を押し潰したTepcoのトップに聞かせたい言葉がある。


「元気な牛を殺す資格は誰にもねえ。平気で命を見捨てる。それは同じ生き物として恥ずかしくねえか」「ここへ来て、悲しそうな牛の目を見てみろ。言いたいのはそれだけだ」Fukushima Daiichi Nuclear Plantに程近い地域の酪農家たちの臓腑をえぐる言葉だ。憤怒の声だ。

評論家S氏がTepcoのトップを“最悪の社畜”だと吐き捨てるのも当然だ。