黄昏の初秋-“流水不濁 忙人不老”?

今夕の涼しさに本物の初秋を感じ、帰路に着いた。


夕食後、昨日買った月刊誌Sをめくる。城山三郎の単行本未収録エッセイ「自作の周辺」が興味を惹く。
そのなかの『元教師の弁』が面白い。

「わたしの息子が通った学校の校長は、『日本の父』で有名になったグスタフ・フォス氏だが、フォス校長がいちばん嫌ったのが“甘え”であった。
 卒業式の日、フォス氏は四十度という高熱であったが、顔を真赤にしながら、日本全体に甘えがはびこり、甘えに日本が亡ぼされる---と、日本人以上に日本を憂えた感動的な式辞であった。
 規律がきびしく、体育は鍛錬と呼ぶにふさわしく、便所掃除などもすべて生徒にやらせる学校だった。わたしも、そこのところが気に入っていたのだが。
 いつか、このフォス氏から聞いた話がある。ある生徒が真剣な顔つきで校長室にやってきて、訴えた。
 『先生、月謝を高くしてもいいから、小使いさんを雇って、便所掃除をやらせて下さい。ぼくは勉強に来てるんです。掃除などやりたくありません』
 思いつめていた。親もそう考えている、という。それこそ正論だと、親子ともども信じこんでいる。
 フォス校長の答えは、きまっていた。
 『そうした方針をとっている学校へ、移りなさい』と。


 いまこのように毅然として突き放せる教育者は、むしろ少数ではないのか。受験勉強こそすべてと割り切る風潮が圧倒的であり、おかしいと思いながら、それを一笑に付すことの出来ない世の中である」
 さらに「一日即一生」のなかに、漢籍に明るい経済評論家伊藤肇氏の生きる知恵というべき言葉が見られる。
 『文如春華 思若湧泉』
 『一笑一若 一怒一老』
 『流水不濁 忙人不老』
人生の暦はなかなかこのような漢籍金言のとおりはいかないだろう。が、『人生に好日少なし』はうなずける。

ずいぶん前に読んだ城山さんの『官僚たちの夏』。皮肉にも官僚政治打破を叫けぶDPJ圧勝の渦中、同名のTV連ドラが視聴率を上げている。

「国家の経済政策は政財界の思惑や利害に左右されてはならない」という固い信念で通産行政を強引、着実に押し進める、“ミスター通産省”Kの軌跡を同書でたどると、官僚イコール悪とは言い切れまい。