脱官僚--政治主導と仰るが、その行方は?

補正予算3兆円弱の執行凍結、来年度予算の概算要求過去最大の90兆円台前半。脱官僚・政治主導を掲げるDPJは威勢がよい。

“コンクリートから人間へ”をキャッチフレーズに、何かと云えば≪マニフェスト優先≫と来る。
挙句の果てには、予算委など国会の委員会に官僚(政府委員)の出席を禁ずると
DPJ国対委員長が言い出し、物議をかもしている。
予想通り、脱官僚主導を超えて。官僚排除の方向が色濃い。裏を返せば有能な官僚が邪魔で、使いこなせないからだろう。
今では“古典もの”ともいえる城山三郎の『官僚たちの夏』。主人公、風越信吾のモデルになったのは元通産省事務次官・佐橋滋。93年に亡くなった。
「風越信吾は、使命感、公に殉じる信念を持ち続ける典型的人物として、時代を超えて生き続けている」(江上剛氏)
官僚的、官僚主義などの言葉には、嫌な人間像がイメージされる。
が、官僚はおしなべてそうなのか。

佐橋滋は「通産次官なのに非武装平和を訴え、財界から総スカンだったが、徹底した異色官僚だった」「私たちは、出世や天下りばかり考えている、思い上がった官僚を見た来た。佐橋は出世を考えずに公に尽くしたし、天下りをしなかった」と「『官僚たちの夏』の佐橋滋」の著者、佐高信さんは語る。
DPJ政権で「脱・官僚依存」が現在の風潮となっている感があるが、「政治主導は正しいと思うが、政治家がそんなに正しいのか。政権交代が常となることで、官僚が国民の立場で仕事をするという原点に返ることができる。佐橋は、いい鏡だと思う」と佐高氏。

そのうえで「中身がないのに偉そうにしている権力者に足払いをかけてやれる」「人間を突き動かすかなりの部分は俗っぽさだ。俗を知らないくせにインテリぶって、理念だけで俗を批判する人間になりたくない」と相変わらず舌鋒鋭い辛口評論家の面目躍如だ。
盛んにメディアに登場する新政権の閣僚。マニフェストやらをバックに政治家のとしての未熟さが顔を出すお偉方が多い。