“現代史”を新たに書き換えるべきとき

A紙今夕刊に≪脱原発世界会議≫(Global Conference For A Nuclear Power Free World)--1/14(土)・1/15(日)パシフィコ横浜---の新聞広告。
「福島の原発事故による放射能被害が広がる中、私たちは何を学び、どこへ向かうのか---2012年1月、世界の人々と一緒に考える国際会議を開催! 当日は、日本国内のみならず世界各国から原発問題やこれからのエネルギーに取り込む専門家によるトークセッション、ステージなど盛りだくさん。『原発のない未来』へのアイデアいっぱいのブース展示も行います」

各界から海外からも良識人が集う良心的企画だが、こうした会議が大きな運動に繋がり国を動かすか?
1950年代より原子力の平和利用を喧伝し原発の積極的容認を先導してきたのはメディアだ。
32年前A紙の科学部長(当時)K氏が土木学会誌に『反技術思想』なるタイトルの論文を掲載。“日本は、科学技術で立つ以外道がない。技術者よ、発言せよ、反原発に反論せよ”と同氏は檄を飛ばした。50年代半ばにA紙に入社以来、原子力開発の歩みを最初の一歩から目の当たりにしてきただけに、技術者への愛着は異常だったようだ。が、技術はひとり、技術者のものか。「原発は安全だ」というK氏の信念は、どこまで科学的だったのか?

一方60年代半ばA紙論説主幹M氏は<科学技術を独走させてはならない>。原発に対する「住民の抵抗」は、工事者側が「『絶対安全』といった非科学的な言葉を安易に吐いてきた報い」だと述べている。
メディアといえば、我が国の保守的英字紙D.Yは連日一面に“JAPAN SINCE THE QUAKE--Redefining happiness”(震災後のニッポン--幸せの再定義)と題して被災地・被災者にまつわる“美談”を連載。“Disaster spurs strengthening of family ties”(災禍が家族の絆を一層強化)という具合だ。

こうした中で今最も注目されるのは孫正義氏の言動と実行力には敬服する。
Ex-PM Kanさんに「再生可能エルギー促進法」を提言。太陽光や風力発電などの普及のを推進を目指す“エネシフ・ナウ!”だ。


孫さんは3/11直後すぐに被災地に駆けつけた。「大震災の前まで僕は原発反対派でも推進派でもありませんでした。ニュートラルというか、考えていなかった。ところがこの1ヶ月で、原発の恐ろしさというか、これが魔物だということをつくづくと考ええさせられた。原発に頼り切る以外に本当に選択肢はないのか。・・・」

ノンフィクション作家佐野眞一氏からインタビューを受けた孫さん--インタビュー中何度も『自分の非力さが悔しかった』と言って涙ぐんだという。「日本一の大金持ちがこの大災害に直面して、何も出来ない自分の『非力』さを嘆く。おべんちゃらではなく、その率直さに私は胸を打たれた」と佐野氏。

「私はこの未曾有の大災害について誰がどんなことを言うかで、その人間の本性がわかると思っていた。この大災害を語る言葉は、学者も官僚も評論家も、災害直後に被災地を取材した私には、空疎で薄っぺらに見えてならなかった。それに比べて孫氏には、被災者を思いやる言葉の深さがあった。それだけではない。彼にはそれを裏付ける実行力があった。・・・・一介の通信業者に過ぎない孫氏の言動がいま一番注目される。それはリーダー不在のこの国の不幸だと思うのは、私だけだろうか」


原発依存に固執する財界トップや超保守の首長に対し孫さんは叫ぶ--『もう1回、自然エネルギーで世界一の技術を取り戻そう』。

「いま私たちに問われているのは、これまで日本人がたどってきた道とはまったく別の歴史を、私たち自身の手でつくれるかどうかである。そして、それしか日本復活につながる道はない」と佐野氏は結ぶ(講談社佐野眞一津波原発>より)