“怠惰な現実主義”から脱却するとき

原発の寿命を「原則40年」に法制化--初めて政府が原子炉の運転期間を40年とする規正法を打ち出した。が、大いに結構と喜ぶのはまだ早い。ウラがある。例外規定を最初から設けて、老朽原発を酷使する道を残している。来年度も原発推進予算を4200億円計上、休止中の原発を再稼動させる動きを画策している。“脱原発”“原発ゼロ”を本気で考えていない。

“がんばれ東北”や“絆”などの空疎なレトリックとは裏腹にこれまで「自己責任」論を押し付け国民をバラバラにし、若者を思考停止に誘導するのが我が国為政者の常套手段だ。
「代替電力はどうするのか」「再生可能エルギーは代替になれるか」--この設問に対し代替エネルギーは非効率で高コスト、現実性がないという<通念>がこの国を支配してきた。この日本的常識を覆す映画と著書が現われた。ドイツ映画『第4の革命』と『エネルギー進化論---「第4の革命』が日本を変える』(筑摩新書)。第4とは農業、産業、ITに次ぐという意味である。


世界には電灯のない生活を強いられている人が20億人もいるという。西アフリカRepublic of Maliでは分娩室の灯が懐中電灯。そこでは巨大発電施設のいらない太陽光パネルはまさに光明だ。


この「第4の革命」に政治思想は関係ない。保守も革新もない。いま欧米諸国で渦巻く<占拠運動>も同じだ。 “Wall Streetを占拠せよ”に端を発したOccupy Movementは米Texas州の大都市San Antonio市にまで及んでいる。9/11の翌年、所用で立ち寄ったアラモの砦で名高い同市、観光客で賑わうGOPの牙城だ。保守色濃厚なこの街で<占拠運動>を運営する青年は語る---

「政治的に保守の人でも多くは我々と同じ労働者で99%の側にいる。富や所得を独占している1%の側にいるのではない。政府が大手金融会社などを優遇する政策をとっていることについて十分理解している」--彼らの目的(格差なき社会を目指す)は同じだ。青年は強調する--「特定のリーダーはいない。目的が一致する人が集まっています。誰もがリーダーになり得る」
先日のNYT国際版1面トップに日本のお正月の風景である<書初め>シーンをAP通信から転載。タイトルは“The Hopes of Many”(多くの願い)。

今世紀の中核を担うべき子供たちの切なる願いであり、新たな希望だ。


今日の成人式にも『一歩前に進む』と宣言する声が響く。protestの相手は今の政治風土と政府と財界の老人、そして政府に保護されている厚顔無恥な電力会社だ。