「温故創新」とは“過去を現在に組み入れる歴史”か--吉田秀和さんの明解な言葉

このところ「温故創新」なる造語?(福田元総理には申し訳ないが)が気に入りあちこちで拝借している。

音楽評論家の吉田秀和氏が他界された。98歳。天寿を全うと云うべきだろうが惜しまれる巨星だ。東大仏文卒。音楽界の領域だけでは到底括ることが出来ないない古今東西にわたる幅広く深淵な教養に基づき自由闊達に言葉を駆使した。その言葉は柔らかった。「精密な分析と確固たる自分の見方によって、評論が1つの作品となるような道を開いた」と今朝のA紙社説。
『芸術が様々に分化していても、根底には感動を呼ぶ共通の源が厳然と存在すると思う』と吉田さん自身が語っている。そして、言葉にしにくい音楽に向き合いながらも『どんなことでも言葉にできる、という信念が僕にはあります』『音楽が聴こえてくるような文章を書きたい』とも仰っていた。

8年前に海竜社から出版された吉田秀和著【千年の文化 百年の文明 】が手許にある。その中の<歴史と創造>に掲載の≪過去を現在に組み入れる歴史≫はまさに「温故創新」の意義を具体的に説く貴重な一節だ。

ボク自身、ちょうど3年前家族でItalyのフィレンツェ(Florence)へ旅してつくづく実感したものだが、吉田さんは明解に語っている---
「ヨーロッパは古い文明の地である。ここでは何を見ても歴史というものを考えさせれずにはいられない。そうしてここで見る限り、歴史とは人間が過去を変転してやまない現在にどう生かし、現在とどう調和さすかの絶えざるくふうと知恵の跡と見えてくる。ヨーロッパの新しさは、常にそのくふうを母胎として生まれている」
「日本にとっては、ヨーロッパ世界は新しく珍しいものだったし、今もそうである。・・・・日本は新しきを取り古きを捨てる心構えでヨーロッパから学ぼうとした。日本におけるヨーロッパについての誤解はこの事情と深く関わっている」
同氏は日本の都市、東京と京都を例にとる--「・・東京は西洋の模倣の最もゆき渡ったところである。しかし東京はまず近代都市としての基本的機能がほとんど麻痺状態に陥っている点で、ヨーロッパの都市ともちがう。・・・道路はいたるところで掘り返され、正常な道路交通はますます不可能になりつつあるし、建造物の様式のとめどもない不統一と混乱は世界に類のない醜悪の域に達している」


「一方、京都には整然たる都市計画が、平安の昔とまではいわなくとも、秀吉が行なった十七世紀の区画整理から数えても三世紀以来依然としてものをいっている。古い建て物と新建築の調和はどこでも成功しているとはいえないにせよ、全体として有機的に保続されている。つまりここでは精神と知性が物資と感覚に対し優位を占めてるだけでなく、精神の勝利がこの都市独特の美観と生活様式を作りあげている点では西洋の生んだ名だたる都市とまったく変わらない」

初出は1962年のY紙に掲載されたもので、以後半世紀を経た東京・京都と同一視できないかも知れないが、基本的には変わらぬだろう。
世界一の電波塔Tokyo Sky Treeの誕生に浮かれているトーキョーだ。耳が痛いが的を射た分析だと兜を脱ぐほかなかろう。