改めて都市文化を・・・二つの京を考える

今朝、8日の某紙に『日本文化の源流と京都』なる表題でコラムが載っていた。
ボクは折に触れ、“文化”という言葉を不用意に使っている。不用意と云うのは“本当の意味もわからずに”と云う意味だ。手許にある辞典で<文化>を調べてみた。「①文明が進んで、生活が便利になること②真理を求め、常に進歩・向上をはかる、人間の精神的活動(によって作り出されたもの)」(新明解国語辞典)、「人間が自然に手を加えて形成してきた物心両面の成果」(広辞苑)とある。ボクは広辞苑の定義の方を採りたい。つまり、<文化>は人間の生きかたの、すべての面にかかわる。


その文化の形成に京都の歴史が深く関わってきたことは自明だが、幼少のころよく祖母に連れられ京の都の路地をぶらぶら歩いたことを思い出す。祖母は決して“京都”と云わず、“京”(きょう)と呼んでいた。和服を着て下駄を引っ掛け歩く姿が粋で実に似合う人だった。

ボク自身このところ京にでかける機会は稀だ。6年前になろうか、公用で西下し新都ホテルに一泊、駅の変わり振りにはビックリしたが、何故か落ち着きがある。ザワザワとした東京とは趣の違うところは、昔も今も変わらない。

先月亡くなられた音楽評論家の吉田秀和さんは都市文化についても造詣が深い。一時期、京都を訪れる機会が多かったと云う吉田さんが<最も美しい都市・京都と、最も醜悪な都市・東京>という捉え方のもと両都市について論じている---

「私は、両者の違いの理由は、京都がアジア大陸の先進大国の文明を直訳的に模倣し、都市が生まれる前に、中国流の都市計画を定め、地の利にめぐまれた土地をよく選んで、その計画をあてはめたのに反して、江戸・東京の場合には、自然発生的に群生して、自ら都市をつくるという日本的性格に依存して発展し、先進国の模倣が行なわれなかった点にあるのではないかと思う。いいかえると、京都は自然の条件のよい土地をえらんで、そこに根本的には外国の思想による都市建設を行なった。その結果は、それ自体としても美しく、しかも際立った個性をもつ都市となった。もしそれを日本の代表的な都市といってよければ---また事実、京都はそうだ---、最も美しい日本の都市はこうして生まれたのだ」


「それに反して、江戸・東京は、まったく都市計画のなかったわけではないが、根本的に日本的に形成された。そうしてその結果は、現在、日本で外国の模倣の醜さを最も蕪雑に露呈する殖民地的都市となった。これも、日本文明を代表する大都市といえる。しかし、京都とは、まったくちがった意味でだ。もちろん、東京は、荷風流にいえば、悲しい都市である・・・」

吉田さんも荷風も生粋の江戸っ子だが、舌鋒に情け容赦はない。
「伝統とは革新の積み重ね」(西尾久美子京都女子大准教授)--京の街はこの定義を実証している。