丸谷さん・・・・数々の名挨拶を再読しております・・

「挨拶はむづかしい」「挨拶はたいへんだ」「あいさつは一仕事」と言っていた丸谷才一さん。弔辞・祝辞・乾杯前の短いスピーチなど数々の挨拶を、肉声では残念ながらお聴きする機会はなっかたが、飽きもせず何度も読ませていただいた。


慢性肝炎のため69歳の“若さ”で旅立たれてしまわれた藤沢周平さんは丸谷さんと同郷だった。1997年1月30日、千日谷会堂での周平さんの葬儀における丸谷さんの弔辞を(周平作品の愛読者であるボクは)幾度も読んだ。<文書といふ剣のつかひ手>と題して--

「戦前と戦後の時代小説をくらべて、誰もが認めなければならないのは、戦後は文章がよくなつたことだと思ひます。意味がよく通るし、きれいだし、柄も悪くない。さうなりました。これはもちろん読者の成熟といふことが大きい。昔風のおおざっぱな文章ではもう読んでもらへなくなつたのです。しかしそのなかで藤沢周平の文体が出色だつたのは、あなたの天腑の才と並々ならぬ研鑽によるものでせう。あなたの言葉のつかひ方は、作中人物である剣豪たちの剣のつかひ方のやうに、小気味がよくしやれてゐた。粋でしかも着実だつた。わたしに言はせれば、明治大正昭和三代を通じて、並ぶ者のない文章の名手は藤沢周平でした。そしてわれわれは、その自在な名文のせいでの現実感があればこそ、江戸の市井に生きる男女の哀感に泪し、どうやら最上川下流にあるらしい小さな藩の運命に一喜一憂することができたのです。 <略> あなたは比類のない勉強家で、しかも苦心のあとを気づかせない名匠でありました。そのため読者は、あなたの描く薄倖の女の運命に吐息をつき、のんびりした剣客の冒険に大笑ひして、人間として生きることのあはれをしたたか味はされ、そして今日の憂さを忘れ、明日もまた生きてゆく活力を得ることができたのです」
また、丸谷さんは<完全な批評家とは何か>と問いかけ、長く敬愛していた吉田秀和さんのお祝いの場で祝辞を述べている。97年2月19日帝国ホテルでの吉田さんの「文化功労賞」受賞祝賀会の挨拶--

「・・・わたしの判断によれば、吉田さんは現代日本最高の名文家の1人あつて、じつに趣味のいい、すつきりした文章を書く。とりわけ、中身のある、程度の高いことを、むづかしい言葉を使はずに言ひあらわす技術にかけては、吉田さん以上の人はゐないんぢやないか。彼は決して偉さうに構へない。わかりやすく、優しく書いて、しかも粋である。品がよくて、しかも鋭い」

これら丸谷さんの<挨拶文>を『ひとつひとつが、たとえば川端康成の掌編小説を越える作品』だと評したのは井上ひさしだった。そういえば、井上さんも2年半前鬼籍に入ってしまった。あちらの世界はそんなにいいんですか・・・?