休日は“侘び住まい”もいい

本日は休日。今冬で一番の厳寒で風も強い。外出などせずに、もっぱら自室にこもる。午前中は惰眠をむさぼる。
午後長女一家がやってくる。歓声もいい。声の華やぎもいい。騒音も悪くない。夕刻、台所に置いてあった消火器を誰かがひっかけ倒したらい。火災報知器が鳴り出した。LDKは煙幕もうもうだ。床はピンク色の粉、みんな大慌てでマスクをして掃除と後始末に奔走していたが、我輩はドアを閉めてTVを見ていた。思わぬ模擬避難、初期消火訓練となった。
古希を間近にして犬を飼うことになった。番犬ではない。柴犬だ。明日、専門店で選定する。子犬を買って2ヶ月は家の中に置かなきゃならない。網囲いのkennelを居間の片隅に用意している。まさしくdomestic pet? 飼った以上、犬を放置できないから厄介だ。誰かが家にいなければならなくなる。それもいいだろう。

永井荷風の顰に倣うわけじゃないが、独り暮らしにも慣れなきゃならない。
荷風散人年七十一のとき小鳥を飼った。
「昭和24年10月13日。毎日寄稿の出版物を古本屋に売りて三千円余円を得たれば午後銀座千疋屋に赴き一昨日見たりし小禽を買ふ」と≪断腸亭日乗≫に記されている。荷風は恩師広津柳浪メジロ好きだったが、当人はセキセイインコを飼った。その小鳥が飼いはじめて五年後に死んだ。荷風は小鳥の死をいつものように淡々と書き留めている。「昭和29年10月初六。小雨。創元社来話。セキセイインコ2羽の中一羽死す。夜に入り雨霏霏。小説四五枚執筆」

もう20年近く前になるが、子供がご近所から生まれて間もない三毛猫をもらってきたので飼ったことがある。子供たちにソウセキと命名されたこの子犬だが、すばしっこくって猛烈なヤンチャで手が付けられない。人懐っこいのはいいが、家の中にじっとして居られない。隙あらば外へ出ようとする。ある夏の日、堪りかねて家内が外へ連れ出した。とたんに猛スピードで走り出し、帰ってこないという。ボクはたまたま旅行に出ていた。「ソウが帰ってこない」電話が入った。
帰宅して家中で近隣を探し回ったが行方は解らない。誰かに拾われていれば救いだと内心諦めていたところ、同じ町内のそう遠くない犬好きの奥さんが家内に知らせてくれた。「家の庭の高い木に登って落下した子犬がいたので、医者へ連れて行きましたが、内臓破裂でダメでした。空き地に埋めてあげました」
家内が泣きながら、しょんぼり帰って来た。子供たち三人もボクも声を上げて泣いた。
荷風は小鳥の死骸が美しいと記している--。
「小さな眼を閉じ細い嘴を軽く開き足を少しつぼめて死んでゐる其の形は見るも哀に痛々しく覚えず掌に載せて打眺めた末庭の土を掘り厚く葬つてやりたくなる」
荷風は、正月に初詣の代わりに雑司が谷墓地へ出かけるのが常だったという。一月二日が父の命日だったからだろう。墓には蠟梅の木が一本あった。
正月はその蠟梅の花が丁度見どころになっていた。
荷風のこの正月墓参りは、母が亡くなった翌年の昭和13年頃までは続けられたものが、それ以降「・・日乗」には記されていない。
昭和18年の春の日に、通りすがりの寺の庭先に咲く蠟梅を偶然眼にし、荷風はむかし墓に移植した蠟梅がどうなったであろうと思いだすのみ。ついぞ、雑司が谷墓地まで足を運ぶことはなかった。
 元日やひそかにをがむ父の墓
 行くところなき身の春や墓詣
我が家は、祖母、母、父ともそろって命日は晩秋の11月だ。
最近、墓参に赴いていない。ひそかに拝むでは申し訳ない。お彼岸前にでも墓参りをしなけりゃと思っている。

近々飼う子犬だが、人様だけでなく、動物とて逢えば別れが必定だ。後々のそんなことを思い描きながら、今日もほぼ一日自室で無為に過ごす。