多摩は残雪、信州信濃は二三尺・・

江戸の俳人のなかでなぜか子供の頃から一茶に親しみを抱いた来た。
小4のとき、学芸会で担任の先生書き下ろしの「一茶」の劇に出た。主役の一茶を演じ、次の一句を節をつけて唄い好評を得た。
 我と来て遊べや親のない雀

以来、一茶の中に、善良な眼を持ち、小動物にもやさしい心配りを忘れない、多少滑稽な句を作る俳人の姿を描いてきた。一茶に寄せるこうしたイメージはボクだけではなかろう。

この一茶像をなかば砕いたのが藤沢周平さんの「一茶」だ。
周平さんは「そういう一茶像をみじんにくだくようなことが、私の読んだ文章には記されていた。それによれば、一茶は義弟との遺産争いにしのぎをけずり、悪どいと思われるような手段まで使って、ついには財産をきっちり半分とりあげた人物だった。また五十を過ぎてもらった若妻と、荒淫ともいえる夜々をすごす老人であり、句の中に悪態と自嘲を交互に吐き出さずにはいられない、拗ね者の俳人だった。・・・だがその彼は、まぎれもない詩人だったのである」と云う。

周平さんがいうとおり一茶は俗であることを隠さない俗物であり、俗から出てあやうく俗を突き抜けた俳人だといえよう。
一茶は生涯に約二万句を詠んだという。あるいはその倍も詠んだかもしれない。これだけ濫作すれば、その中に凡句や駄句が見られても仕方ない。
重要なのは、二万句を超える句を詠んだということである。蝿や痩蛙だけではない。馬から虱、蚤に至るまで、どんなものでも、句にならざるはなしの俳句人生だった。
周平さんは某通信社の文化部長とのインタビューのなかで「慈悲心とか、小動物をかわいがる心があったと言われるんですが、そうではなく、何でも詠んでやろうというところがあってんですね。エクセントリックな性格があって、小さなものに執着した。それは慈悲心なんかと関係ないんです」と答えている。
周平さんの最も好きな句は次の二句---
 木がらしや地びたに暮るる辻諷ひ
 霜がれや鍋の墨かく小傾城
芭蕉や其角の句などに比べれば、人生の底辺に生きる人間へのよりそい方がわかる。

加藤周一氏の「高原好日」(ちくま文庫)のなかに≪一茶夢想≫なるエッセイがある。「春の日の夢のなかに、なぜ一茶が出で来たのだろうか」と加藤さんはいう。信州柏原に生まれた一茶に北軽井沢(信濃追分)での山荘で夏を過ごした加藤さんが共感したのか・・?
夢の中での加藤さんと一茶との対話--
「お前さんの故郷はどこかな」と夢のなかの一茶は言った。
「夏に限って信濃追分・・・」
「柏原からは遠いな」
「・・・村にはもうお住まいではないでしょう。今はどちらで」
西方浄土だよ」
「それこそ遠い。よく出てきてくれましたね」
「住めば浄土のめでたさも中ぐらいさ」と一茶は呟いた。
「あちらはお仲間も多いでしょうな」と私。「芭蕉翁とはお会いになりましたか」
「いや、お互いに蛙で迷惑しているよ。あちらは古池に何匹とびこんだかはっきりしない。(とび込む)は連体形か終止形かなどときかれても、返事のしようがない。蛙で有名になりすぎると後世まで祟りますぜ。こっちはいつまでもやせ蛙だ。もう少しましな句も作ったのだが・・」
「そうですね、やせ蛙より親のない雀の方がいいですよ。身につまされる。・・・」
加藤さんは、『私は近頃偶然に一句の英訳に出会い、一茶の名を見たので、原作を探し当てたという話をした』と言って、和句と英訳を並べる--
In this world/we walk on the roof of hell/gazing at flowers.
  世の中は地獄の上の花見かな
さらに加藤さんが“これはいいですな”と一茶に言った句がある。
   寒いぞよ軒の蜩唐がらし
そして加藤さんは、『(一茶の)弁舌いよいよなめらかに、いよいよ辛辣になろうとするところで、私の夢はさめた』と締めくくる。
俳諧史上から一茶を抹殺。このことは戦時中まじめに論ぜられ、半ば実行されてもいたという。
 芭蕉翁の臑をかじつて夕涼
一茶自嘲のの句か。そんな一茶を周平さんは「不思議な魅力を持つ俳人だ」と語る。「我々は、芭蕉の句や蕪村の句も記憶に残す。それは句がすぐれているからである。一茶にもすぐれた句はあるが、一茶の句の作り方は、そういう意味とは少し異なって、親近感のようなもので残る。それはなぜかといえば、一茶は我々にもごくわかりやすい言葉で、句を作っているからだろうと思う。芭蕉や蕪村どころか、誤解を招く言い方かもしれないが、現代俳句よりもわかりやすい言葉で、一茶は句を作っている。形も平明で、中味も平明である。ちょうど啄木の短歌がわかりやすいように、一茶の句はわかりやすい。そしてそれは一茶が、当時流行の平談俗語を意識したというだけでは片づかない。もっと本質的な、生まれるべくして生まれた平明さのように思われる」
「このような(周平さんの)一茶への共鳴の仕方こそ、藤沢文学のもつ肌のぬくもりであり、心にぬくもりを失った現代人にとっての魅力でもあろう」と前掲の文化部長は述べている。加藤さんの一茶への共感も、単なる“同郷”のよしみだけではないだろう。
先日東京に初雪が降った。今日午後昼食をとった西多摩のピザ店の窓外に残雪が・・。


遠くの山は真っ白だ。信州信濃は記録的豪雪だという。

一茶にも初雪を詠った句がある。
 はつ雪をいまいましいと夕哉
 はつ雪やそれは世にある人の事
すね者一茶ここにありの句だ。
まともな句もある。
 はつ雪やといえば直に三四尺
 雪行け行け都のたはけ侍おらん
都と云えば文化八年二月の「江戸の大火」を望見して詠んだ秀句?がある。   百両の松もころりとやけの哉

≪百両の松≫とは豪華な邸宅・仏閣のさまを象徴している。一茶の面目躍如というべきか・・?