戦中・戦後(敗戦直後)の作家の日記にエスプリあり

Donald Keene氏の「日本人の戦争」(講談社)が角地幸男氏訳で出され、戦時中と敗戦直後の“作家の日記”のエスプリを味わった。苦難の時代の日記だ。味読゜ではなく苦読が多かった。
山田風太郎「戦中派不戦日記」、伊藤整「太平洋戦争日記」、「高見順日記」など、反戦論調は微塵も感じられない。好戦的とはいえないまでも、“神国“の勝利を信じ、また祈念する国家主義の色合いは否定できない。
渡辺一夫氏の「敗戦日記」は異質で出色。戦争の末期に密かに書き留められた「日記」であり、1976年雑誌「世界」(岩波書店)に掲載されたものである。「日記」ノートに書かれていた。渡辺一夫先生自ら「(日記の書かれている)小さなノートを遺さなければならない。あらゆる日本人に読んでもらわねばならない」とその意図を吐露している。

終戦を境にして「高見順日記」はシニカルになる。昭和20年11月、専売局が新しい煙草の図案と名称を募集した。当選した名称の一等は“Peace”(ピース)。
高見順は次のように記している。
「戦争中英語全廃で、私たちの馴染み深かった“バット”や“チェリー”が姿を消しましたが、今度はまた英語国に負けたので英語が復活。日本名だってよさそうなものなのに、極端から極端へ。日本の浅薄さがこんなところにも窺えるというものです。“コロナ”はまあいいとして、“ピース”(平和)なんて、ちょっと浅ましいじゃありませんか。滑稽小説ものですね。好戦国が戦争に負けるとたちまち、平和、平和!」言いえて妙である。

山田風太郎は特に永井荷風の作品を好んで読んでいた。戦時中、荷風の作品は発禁となった。戦争小説は、たとえつまらなくても読者の反戦感情を煽る心配は無かった。ところが荷風の、かつての浅草の歓楽街の描写は、あまりにも魅力的で一般読者に戦争憎悪の念を起こさせる危険がある。政府は、こうした感情が生まれるのが許せなかったのである。
戦時中、一貫して戦争熱に冷淡かつ飄々と「日記」を書いた荷風だが、名著「断腸亭日乗」は当初の「永井荷風日記」を書き直したものになっている。戦後になって書き直させられたのだ。
例えば--- 昭和20年9月28日の「永井荷風日記」の記述。
     “昨朝陛下微服微行して赤坂霊南坂なる米軍の本営に馬氏元帥を      訪がせ給へりと云”
     これが「断腸亭日乗」では書き直されている。
     “昨朝天皇陛下モーニングコートを着侍従数人を従へ目立たぬ自      動車にて、赤坂霊南坂下米軍本営に至りマカサ元帥に会見せら      れしといふ事なり”
意味は変わらないが、先の「永井荷風日記」にはいかにも荷風らしいエスプリが効いている。“微服”(人目につかない粗末な服装)と“微行”(身分の高い人が人目を忍んで外出する)といった皮肉が、「断腸亭日乗」では消えている。前者は随所に政治的皮肉が見て取れ、大げさな言葉遣いが滑稽な雰囲気を醸しし出している。

時おり、岩波の摘録「断腸亭日乗」上・下巻を読んでいるが、この際、そう廉価じゃないが底本「永井荷風日記」を買わなきゃなるまい。