「寝太郎」で目覚める

ボクが高校時代、演劇好きになったきっかけは文化祭のとき、たまたまクラスで木下順二の民話劇に引っ張り出されたからだ。半世紀以上も前のことだ。

出し物は「三年寝太郎」だった。とぼけた楽しい芝居だったが、今思えば、内容は意味深いものがある。
職業劇団による初演は1957年、大阪歌舞伎座土方与志演出で前進座が歌舞伎の手法を駆使した派手な舞台だったという。
「・・寝太郎」は演る者にも観る者にもとにかく愉快な芝居だ。前進座が初演したとき「怠け者の奨励劇ではないか」との批判の声もあったらしいが、「しかしボクは、ただ奴隷的に働くだけの小作人根性じゃだめじゃないのか、知恵を働かせる必要があるのではないか、と木下順二は言いたかったのじゃないかと考えているんですよ」と演出家の津上忠さんは語る。


土方与志が59年亡くなる直前まで約10年間演出助手を務め、教えを受けていたのが津上さんだ。その津上さんが、創立50周年を迎えた青年劇場で今月「三年寝太郎」を演出し上演する。土方与志没後50周年特別企画である。
津上さんが述べている---
「なぜ寝太郎が寝てばかりいるかについて、いろいろ理屈はあるんです。封建時代の農民は働いても働いても年貢(税金)を搾り取られるだけで、寝太郎は、それに逆らって寝てしまった、というものがあります。それで、あるとき、知恵を働かせて金をもうけることを考えた、そういう芝居だといえます」
私事に及ぶが、「・・寝太郎」に続き名作「夕鶴」を高校の舞台で経験し、その後、演出に手を染めたとき、「彦市ばなし」を何回も舞台化した。
さらに、民話劇とは云えないが、高校生相手に真船豊の「寒鴨」「鉈」を上演した。


何れも尺高の土間を中心に、伊藤熹朔著「舞台製作の研究」を懸命に読み、写実の装置作りに取り組んだ。
津上忠さんが土方与志演出の優れた点に触れている。「日本の演劇がおもに横の動き中心だったのに対し、縦の動きを大胆に取り入れたことです。『なぜ横の動きばかりなのか。縦の動きをつくれ』といい、その理由の“正当化”の説明ということをやりました」

立ち芝居の場合、得てした舞台の間口ばかりを利用した横の動きばかりに流れてしまう。それを戒めながら、奥行きを活用した縦の動き、演技をつける。そのタイミングと呼吸が不自然にならないようにしなければならない。役者も度胸が要るものだ。
木下順二の民話劇はまさに民衆の“Hearts and Minds ”を表出する芝居だ。