大衆芸能

芸ががさついていないか・・・

師走、三鷹の公会堂に立川流一門がやってくる。 「家元・立川談志が再び登場」の案内が届いた。「ご自身の体調を鑑み、内容は当日までのお楽しみ。落語への愛に満ちた立川談志師匠の言葉の重さと、立川流一門の高座をじっくりとご堪能ください」とある。 談…

“ま・く・ら”重ねて

柳家小三治師匠が今月25日に落語協会会長に就任する。まことに欣快である。 その小三治さんが明日、19日で100回目を迎える≪朝日名人会≫の歩みを語っている。 99年2月に始まった当≪名人会≫、第1回、第2回には古今亭志ん朝師匠が連続出演した。当時頂点を極め…

やっぱり“まくら”が欲しい

一昨日の夜、のっぴきならい事情に出くわし、職場の我がオフィスで寝泊りする羽目に相成った。 他のスタッフも10人ばかり一夜を明かしたが、“完徹”ではなく大方は結構仮眠を取った模様だ。 が、ボクはこの仮眠というものが苦手だ。夜行の機内のなかなどその…

笑う落語家と笑わぬ噺家

五代目小さんが鬼籍に入ってもう七年が過ぎた。TVの追悼番組で十八番の1つ『笠碁』を観賞した。語りと絶妙の間に観客はしきりにクスクス笑った。爆笑の場面は少ない。 同じ『笠碁』をDVDで観たがお客なしの録画取りだ。さらりとしていて笑いはなく面白くな…

大喜利と落語は無縁に近い

こないだ、小三治師匠の“まくら”に触れた。そのなかで、園遊会に招かれた五代目小さん師匠が天皇から「このごろは、落語のほうは、どうなの?」とのご下問を受けて、「ええ、近ごろだいぶいいようで」。 まるで病人が快方に向かってるような答えだ。さすが噺…

話芸は“まくら“--笑いの格が違う

昨日、ETVで「日本の話芸選」を視聴する。 円歌の「中沢家の人々」、歌丸の「小言幸兵衛」。お馴染みの十八番の噺にお客の哄笑・爆笑が湧くが、定型で笑いを誘わんかなの流暢な語りには本物の可笑し味はない。話芸にほど遠い。 落語には“まくら”が不可欠だ。…