やっぱり“まくら”が欲しい

一昨日の夜、のっぴきならい事情に出くわし、職場の我がオフィスで寝泊りする羽目に相成った。
他のスタッフも10人ばかり一夜を明かしたが、“完徹”ではなく大方は結構仮眠を取った模様だ。

が、ボクはこの仮眠というものが苦手だ。夜行の機内のなかなどその最たるもので、去年の暮れ南半球にとんぼ返りの旅にでかけた際もそうだった。隣席の連れ合いがぐっすり寝ているのに我輩は一睡もせずに読みかけの文庫本を読了。そのうち夜が明け、離陸後10時間、現地空港に着陸という具合だ。
というわけで、一昨日の夜も、ソファの両肘掛椅子をつなげて横になり、オーバーを毛布代わりにかけて目を瞑り少しでも睡眠をとろうと努めたがやっぱりダメ。ほぼ徹夜となった。長年、睡眠導入剤精神安定剤のご厄介になっている反動とも思われるが、どうも馴染みの枕がないとよく寝られないらしい。

いつも常用の枕を持ち歩くわけにいかぬが、枕ってものは重宝だ。
昨夜の帰りも深夜になった。1時半を過ぎていたが、寝る前に夕刊をめくった。
嬉しい記事が目に入った。小三治師匠が鈴々舎馬風さんの後任に落語協会の新会長に就任することが内定したという。ご同慶の至りだ。
玄人受けする本物のプロフェショナルの落語家・噺家柳家小三治
小三治と云えば直ぐ“まくら”が思い浮かぶ。『小三治さんのまくらは、ちょうど若い人向きのエッセイストの文章みたい・・洒落た短編小説のようでもあるし、まさに、若い書き手のスーパーエッセイのようでもある』と絶賛する芸人もいるほど。まさに磨き上げたその話術は至芸というべきで、人前でのお喋りを仕事の1つとしている者にとっては、業界こそ違え、ふんだんに学ぶところがある。

名著?≪ま・く・ら≫(講談社文庫)の「あとがき」のなかで、小三治さん自身が語っている。
「私は喋りというのはその場で、高座(舞台)と客席の空間に消えてしまうことが値打ちだと思ってますから、本当はCDやテープも出したくないぐらい」
(そういえば、数年前五代目小さん師匠の追悼番組のなかで『笠碁』を視聴し、その話芸にしびれた。そこでさっそく小さん落語選のDVDを買って何度も聴いてみたところ面白味は半減。お客無しの録画、写真撮りはいただけない。客あっての噺だ)
小三治さん続けて曰く----
「・・噺の枕というのは、短い小噺をひとつふたつ喋っておいて、ポンと本題に入るのが江戸前てぇもんです。本題に自信がないので独演会などの時にぐずぐずごまかしのためにやり出したのです。

それがいつの間にか、小三治は枕の方が面白いなんてことを言い出すヤツが出てきやがった。それが証拠に、・・さんに枕の本なんか作らないで本題の本の方を作ったらどうですって言ってやったら、ウッつって黙っちめやがった。だからオレの落語は面白くねぇんだろう。なんていったらいいか、やるかたない」
ボクは申し上げたい。--ご謙遜めさるな。“やるかたない”だなんて仰っちゃいけませせん。本題の噺の味わいも、それこそ古典落語の王道ってものです。
右脇に常備薬入りの湯呑みをおいて枕からさりげなく本題に入る、他の追随を許さないお馴染みの一席をお聴かせ願いたい。加えて、乞うご自愛だ。