笑う落語家と笑わぬ噺家

五代目小さんが鬼籍に入ってもう七年が過ぎた。TVの追悼番組で十八番の1つ『笠碁』を観賞した。語りと絶妙の間に観客はしきりにクスクス笑った。爆笑の場面は少ない。
同じ『笠碁』をDVDで観たがお客なしの録画取りだ。さらりとしていて笑いはなく面白くない。DVDで落語など聴くものではない。お客あっての噺家の芸だ。
名人小さんも味わいのある顔をしている割には、苦虫を潰し、噺の最中自分で笑うことなど滅多になかった。
小さんの一番弟子は小三治だ。プロ中のプロ、もう名人の域に入っている。「笑わせない芸」を目標としているという。恐れ入ったモノだ。

落語家と言えば華やかな円楽さんが他界した。人情噺を得意していたが、それよりもむしろ長年「笑点」の司会者として人気を得た。某紙文化部記者が≪落語の面白さを『笑点』で伝え続けた円楽さん≫と題して次のように評価している---
「一時人気が低迷した落語の面白さを『大喜利』を通して伝え続けた。今、落語に追い風が吹いている理由の1つは、落語を身近な存在にとどまらせた“円楽さんの笑点”があったからだろう」
笑点の『大喜利』は確かに面白いが、メンバーの誰もが自分で笑い、満場の客席から爆笑が聞こえる。爆笑は落語に馴染まない。
ボクの知人に大の落語通がいるが、彼に言わせれば「手前でゲラゲラ大笑いしている噺家なんてホンモノじゃない」ということになる。本物の落語ファンは「大喜利」などクソッ喰らえだろう。ボクもその口だ。

小三治が自著「ま・く・ら」(講談社文庫)のあとがきのなかで語っている。
「(『ま・く・ら』を)読んでみると自分ながら面白ぇことをいうヤツだなァコイツァ。と笑っちゃったりして、とてもみっともない」「噺の枕というのは、落語の本題に入る前のイントロで、こんなにいろんなことを長く喋るものではないのです。短い小噺をひとつふたつ喋っておいて、ポンと本題に入るのが江戸前てぇもんです。本題に自信がないので独演会などの時にぐすぐずごまかしのためにやり出したのです。
それがいつの間にか、小三治は枕の方が面白いなんてことを言い出すヤツが出てきやがった。・・・」
謙遜、自嘲気味の小三治師匠、お客をくすぐる名人だ。