芸ががさついていないか・・・

師走、三鷹の公会堂に立川流一門がやってくる。

「家元・立川談志が再び登場」の案内が届いた。「ご自身の体調を鑑み、内容は当日までのお楽しみ。落語への愛に満ちた立川談志師匠の言葉の重さと、立川流一門の高座をじっくりとご堪能ください」とある。

談志さんも早や74歳。16歳で二つ目柳家小ゑんを名乗ったものの、10年後の62年26歳のとき、入門が5年遅い志ん朝さんが“36人抜き”で真打に昇進することになり、生涯一番の屈辱を味わった。

そして83年、小さん師匠と袂を分かち落語協会を脱会。知る人ぞ知る、立川流を名乗ることになった。協会真打昇進試験制度の運用を巡って会長の小さん師匠と対立したのが要因らしい。


面白いエピソードがある。談志が前名小ゑん時代に師の5代目小さんに「小三治という名をよこせ!」とさんざん迫った。小さん師匠は結局、談志には襲名させず後輩の当代(10代目)に与えた。小三治を与えることは柳家の継承を認めたものと考えられた。
当代10代目が今年落語協会会長に就任した小三治さん。71歳。当人も持病があるが、めげずに益々芸に磨きをかけている。
小三治さんの言葉は“まくら”に代表されるように軽快だが含蓄がある。
師匠の小さんに、正面からあまり教えてもらわなかったようだ。たまに噺を聞いてもらうと「お前の噺は面白くねェな」と言われてオシマイ。師匠はツレナイ台詞を残して銭湯に行ってしまうという具合だった。だから小三治さんに言わせれば「芸は盗むものだ」ということになる。
今じゃ多くの弟子を抱える身の小三治さんが、修業中はかくあるべしと語っている。

「いまボクは、自分の弟子には、修業中は出来る限りいやな思いをドッサリさせてやろうと思っている。数多くの道理や理屈ではなく、いやな体験をゴチャマンとさせてやりたい。修業の時期に飛びっきりいやな思いをしておけば、独り立ちしてから、どんな辛いことにぶつかったって驚きゃしないだろうし、対処のメドもつくだろう。ホンの数年だ。それが過ぎれば、あとは何したって、勝手な世界が広がっているんだ。
私が師匠として弟子にしてやれることは、修業の期間中、いかにしてこの上ないいやな目に合わせてやれるかだと思っている。その結果、彼らに恨まれたっていい。その恨みが生きる活力となってくれるならこんな嬉しいことはない。
鉄は熱いうちに打て−−修業中にいろんな思いをさせてやりたい。右も左も、西も東もわからないうちに狭いスロートを通り抜けた経験のある者とない者とでは、後年になればなるほど違いが出てくる」
(超)売れっ子芸人、噺家の皆さんに対する自戒の言葉がいい。
「仕事が忙しくなると寄席へ出ることも稀になってくる、というのはお定まりのコースである。よくあるのは、あまり売れ過ぎると芸が荒れてくるのである。次々にこなすだけの仕事になってくると、芸ががさついてくるのである。無理はないこととはいえ、芸人が一番気をつけなければならないことである。これを続けていると、客に飽きられてくるばかりでなく、通りすがりの客にばかり喜ばれるようになってしまう」

大喜利にご登場の噺家さん、玄人寄席が素人寄席に堕落しないようにくれぐれもご用心を!・