主役が逝ってしまった・・

このところさっぱり姿が見えなくなくなり、衰えの噂を聞いていたが、やっぱり本当だった。森光子が逝った。稀代の名役者が消えてしまった。下積み時代からその存在に注目していたファンの1人として淋しい限りだ。


短命番組だったがABCラジオの『漫才学校』(1954年1月〜56年10月)で教師役に出ていた。校長がみやこ蝶々、生徒が夢路いとし・喜味こいし、用務員が南都雄二のお笑いミュージカル。「歌がうまい森のみっちゃん」と可愛がられていたがすでに30代だった。この番組で着実に芸の力を身につけたという。その3年後に上京した。


「アイツよりうまいはずだが何故売れぬ」--端役ばかりを悔しがっていた森に目をつけ、上京を促したのは知る人ぞ知る菊田一夫。当時東宝専務取締だった。菊田は彼女を芸術座の主役に抜擢した。61年(昭和36年)10月「放浪記」初演。41歳の時だ。作品がテトロン賞を受賞。彼女は文部大臣賞を受賞した。



ボクはこの初演を観ていない。翌年の62年3月、東宝現代劇凱旋公演と銘打たれた同舞台を芸術座で観た。森光子演じる林芙美子のライバル、日夏京子を浜木綿子が、詩人志望の若者、菊田一夫を小鹿敦(後の小鹿番)が演じた。


同年10月同じ芸術座で東宝現代劇特別公演『悲しき玩具』(石川啄木の生涯)が上演され、これも観に出かけた。余り知られていないが、作演出菊田一夫、装置伊藤熹朔、照明穴沢喜美男、音楽古関裕而。当時の大御所ばかりだ。この舞台で彼女は、市川染五郎(現:松本幸四郎)演じる啄木の妻節子役だったが、脇役に三遊亭圓生八波むと志、小鹿淳、三戸部スエ、加代キミ子など芸達者が配されていた。




その後、46年経た2008年2月下旬、シアター・クリエとして新装された旧芸術座で「放浪記」が上演された。菊田一夫生誕100年にあたるその年、森光子が単独主演記録を1900回に伸ばした。88歳。年齢を考慮してか、あの“でんぐり返えし”が取り止めになった。自身「気持は複雑」だと語っていた。

同年BS2での≪100年インタビュー≫が彼女の顔をみる最後となった。
軽快で洒脱。ジョークをまじえ往年をさらりと語る。なんとも不思議な名役者、大女優だ。あの稀有な優しさはどこから来たのだろう。長く舞台を共にしていた俳優さんや親交ある人たちの悲しみと感謝の念は深い。

互いに尊敬し合っていた美空ひばりのいる世界に往ってしまった。
山田五十鈴津島恵子、淡路千景、三崎千恵子地井武男大滝秀治など、今年は年輪を重ねた名優が次々と他界する。そして森光子さんを失うとは・・。稀にみるgreat actress、偉大な国民的エンターテナーを亡くした穴は余りにも大きい。