ロシア映画が見られないが・・?

劇場映画を計画的に観た。正月早々、街のコミュニテイが自主上映した韓国映画「国際市場で逢いましょう」が"観初め"。来週28日に2本で今年の"観納め"。年間100本以上にのぼる。その多くが名画座巡りによるものだ。現在、都内の名画座は数えるしかない。新文芸座ギンレイホールユーロスペースNFC(日本フィルムセンター)あたりか。もっとも、飯田橋ギンレイは年間1万円で50本以上観られる人気館だが、上映モノを精選した跡がなく、言えば2番・3番封切館の色合いが強い。その他、岩波ホール、角川シネマ、新宿シネマカリテなども見逃せないが、話題作の上映館と言えよう。
ボクが衝撃を受けたり、感銘・感動した作品を挙げてみる---
戦後間もないころ制作された必見の二本はデ・シーカー「自転車泥棒」(伊:1948年)、山本薩夫「暴力の街」(1950年) ー 双方とも新文芸座の特別企画によるもの。敗戦直後の混乱の跡が消えない民衆の生活が活写されている。
渋谷ユーロスペースで、ズシリと強い衝撃を受ける作品を観た。「チリの闘い」(1975--チリ・仏・キューバ)と「東京裁判」(1983:小林正樹) -- 2本とも4時間を超える超長尺のドキュメンタリーだ。戦後現代史の学習には欠かせない。
ところで、今年ボクにとっての新しい発見は京橋にあるNFCとの出会いである。館内は立派で310席。一般510円、シニア310円と入場料は破格の廉価。加えて企画がユニークだ。6月中旬〜7月初め「EUフィルムデーズ」と銘打って、日本に大使館のあるEU加盟国の最近の代表作が上映された。当然、旧東欧諸国の作品もある。その中で特筆すべきは『マリヤ、1948年の旅路』(2013年--リトアニア)だろう。-- 第二次大戦後、東西に分断された欧州。鉄のカーテンの東側に位置したリトアニアスターリン体制下、数十万に上る人々がソ連強制収容所に送られた。輸送列車で運ばれる途中、母親を亡くし、独りぼっちになる11歳の少女マリヤ。列車から逃げ出し、さまざまな人に助けられながら、故郷までの6,000マイルの旅を敢行する--大ヒットした珠玉の名作だ。
そのNFCがこの年末、「 DEFA70周年 知られざる東ドイツ映画」を企画・上映している。DEFAとは1946年〜1990年の東ドイツ終焉まで続いた映画制作機関である。いずれもソ連共産党支配下で制作された作品だけに貴重だ。なかには、反体制的傾向が見られるという理由で、上映禁止となった作品も少なくない。
このように回顧するなかで、一つ大きな疑問にぶつかった。ソ連邦ロシア連邦・・この大国の作品に何故かお目にかかれない。誰か消息筋の方はおられませんか?


ソ連映画といえばサイレント映画戦艦ポチョムキン』だろう。エイゼンシュタインモンタージュに舌を巻いたものだ。が、スターリンフルシチョフ時代は? 大作が作られたようだが公開されたか?その後トップが目まぐるしく変わっていった。ブレジネフ、アンドロポフ、チェルネンコ・・・ゴルバチョフが登場する前に一番人気のあった小咄は「タス通信のニュースをお伝えします。皆さん大笑いするでしょう。たびたびですが、ソ連共産党中央委員会書記長がまた死去しました」だとか。そして、ペレストロイカゴルバチョフが弱く、嫌われ、エリツィンに追い出されソ連が倒れ、ロシアに変わった。ソ連時代人々は書物をむさぼるように読み、芸術・文化の華が咲いていた。ソ連が崩壊したのは、強制収容所の真実をみんなが知ったからではない。女性用ブーツが不足し、トイレットペーパーが不足し、オレンジがなかったからだと。自由が欲しくて走りだしたのではない、ジーンズやスーパーマーケットが欲しく、派手な包装紙に目が眩んだからだと言う。

      • 古くさい思想が復活している。偉大な帝国について、「鉄の腕」について....,,。ソ連国歌が戻ってきた(2001年、ソ連邦国歌の曲に新たな歌詞がつけられロシア連邦の国歌になった)。名前こそ<仲間>(親プーチンの青少年団体)だが、共産党青年同盟があり、共産党をコピーした政党がある。大統領の権力は、書記長並み。絶対的な権力だ。マルクス・レーニン主義のかわりに正教........---(スベトラーナ・アルクシェービッチ著「セカンドハンドの時代」より)

KGBの指導下でにわか仕立ての資本主義が建設されているんだ」とも。PutinとTrumpの親密さが気になる。