音羽屋の掛け声侘びし江戸鏑

昨年と日も同じお正月の6日、国立劇場初春歌舞伎公演を観に出かけた。

明治23年の初春、子規が畏友漱石から受け取った手紙には、『当年の正月は不相変雑煮を食ひ寝てくらし候 寄席へは五、六回程参りかるたは二辺取り候・』とある。“寄席に五、六回程”とは羨ましい限りだが、明治22年1月から始まった子規と漱石の交遊は、ともに寄席好きということが機縁で急速に進展したようだ。
今のご時世、好きな落語も寄席に出かけてナマを聴かずに、ついついTVで済ませてしまう。この正月もそうだった。耳が遠いせいもあり、寄席にでかけてきちんと拝聴できるか自信がないせいでもある。
それでも暮れのぎりぎりに映画(時代モノ邦画)を観に、そして渋谷のギャラリーにネオ・リアリズムとやらの絵画展に出かけた。そして、本日の歌舞伎観劇とくれば、そう非文化的な暮らしとはいえないだろうと思う。
さて、国立劇場にかかった≪通し狂言≫は『四天王御江戸鏑』。序幕に始まり四幕、最後は大詰の正味2時間半モノだ。尾上菊五郎監修と銘打つだけあって一種の尾上菊五郎劇団の揃い踏みともいえる。


が、中味はビックリ。否、中味が乏しい。大劇場はほぼ満席だったが、ちらほら客が居眠りしている。我輩も一時睡魔に襲われ困った。
日本の伝統歌舞伎、西欧オペラの日本版だと従来から考えていたが、こんにちでは伝統も何もあったものじゃない。大スペクタクルと仕掛とトリック、それに奇想天外なアドリブが目につくだけで、堪ったものじゃない。
どだい音羽屋さんの御大菊五郎さんの存在感があまりない。むしろ同じ音羽屋でも松緑さんの芸が力強い。声量もあり大見得を切る立ち姿も抜群で確かな技量の持ち主だということがわかる。

辰之助時代、市川新之助尾上菊之助と並んで「平成の三之助」と云われた四代目松緑さん。父の初代辰之助、祖父の二代目松緑をまだ子供の頃相次いで亡くし、辛い時代があったはずだ。その後尾上宗家の菊五郎傘下の音羽屋に入って、芸を磨く。荒事や世話物を得意とする男性的役柄がピッタリだ。客席の“音羽屋!”の掛け声も松緑さんに集中していた。まだ若干36歳、芸達者で受賞歴の豊富なのもうなづける。
もう一人中村時蔵さんがいい。「私の役は対照的なニ役です。1つは源頼光で、土蜘蛛退治をする武将。今1つは茨木婆という、妖術を使う巫女のような役です。・・菊五郎兄さんの綱五郎と戦う老女です。昨年に続いて、今年のお正月も婆の役を演じます」と自身語っている。


五世時蔵、故錦之介の甥にあたり、いまや萬屋の筆頭株だ。その気品といいある種の凄みといい、21世紀の歌舞伎界を担う立女形の一人に間違いない。
出し物の中味としては二流の感もしないではないが、いい役者さんにめぐり会えて眼の福を頂戴した。