音羽屋の菊之助も中村屋さんもいい--海老蔵の決意に賭ける

大器晩成型だった十二代目團十郎さん。父親(海老さま=第十一代目團十郎)
を19の時に亡くした。新之助時代である。海老蔵團十郎もいなくなり、いきなり市川家、成田屋の当主となってしまった。苦労の始まりである。


ご本人が語っている。「父が亡くなってからというもの、松緑叔父さんには何かと教えてもらいましたが、最初から最後までバカにされっぱなしでした。それで発奮したとも言えるんです。・・・かなりきついことも言われて、ずいぶん悔しい思いもしたんです」
松緑の息子、三之助の一人、初代辰之助と比較されたようだ。口跡はカラリと歯切れがよく、踊りのテンポも抜群だったので、何かにつけて当時の新之助さんは分が悪く、損をする立場だった。

十代目海老蔵を経て、1985年、待望久しい十二代目團十郎の襲名を控え、挨拶回り。まず一番お世話になった歌右衛門さんを訪ねる。玄関で丁寧に応対した歌右衛門さんは海老蔵さんの心身を気遣い、「大丈夫?」と励ます。


次に訪ねた中村屋に十七代目勘三郎さん。カーデガン姿で玄関に迎え、「こんな格好でいいの?」なんとも気さくで暖かい。


襲名の口上、<睨み>の時の勘三郎さんの眼差しと松緑さんのブスッとした顔つきは対照的だった。

60年の盟友、團菊。音羽屋さんの当代菊五郎さんは「夏雄ちゃん楽しかったよ。面白かった」「お疲れ様」と本葬で團十郎に遺影に語りかけ、「海老蔵君もしっかりしてきたから心配ない」と次代に期待する。


あのパリ・オペラ座での公演で海老蔵さん、團十郎さんと共演する機会を得た当代菊之助さん。玉三郎さんに継ぐ女形のトップ役者になるに違いない。


昨暮早世した多才、多芸の名優十八代目勘三郎さんも海老蔵さんと軽口を叩く仲だった。

團十郎さんが一番仲の良かった辰之助さんが87年3月、40代の若さで他界した。松緑さんのショックは計り知れず、めっきり気力を失い、重病の床に。亡くなる一週間前、伸びた髭を團十郎さんが剃ってあげたという。「いやなら拒絶することもできた。それを承知でボクにまかせて、顔を触らせたんですから、内心ホッとしました。・・・終わったら、ありがとよ、というように眼ででうなずいてくれて、嬉しかったです。人間には、最後の準備とか、思いとか、一念というものがあって、ボクとはいつか和解しておきたかったのかなぁ・・・」


茫洋としていて捉えどころのない、それでいて親しみと温かみを感じる眼差しと人柄・・・真面目なところを受け継ぎでいる海老蔵さん。偉大な父、師匠を亡くし「寂しいです」とひと言。涙をこらえ、成田屋頭首として生き抜く。意を決し、一歩踏み出した。