復活したはずの團十郎--十二代目が卒然と逝った

この三日の夜、TVのテロップに流れた「市川團十郎さんが亡くなりました」の速報。思わず眼を疑った。18代目勘三郎の後を追ったのか!
去年の暮、体調をこわし「南座」公演を途中降板して以来、舞台から姿を消していた。原因はpneumoniaだと言われるが、やはりleukemiaの再発ではなかったか・・?

あの多芸・多才な勘三郎さんの早世は惜しみて余りあるものがあったが、十二代目團十郎の急逝・・歌舞伎界の支柱が斃れ、世界が認める我が国伝統文化の象徴的存在を失ってしまった。その損失は計り知れない。一大悲劇だ。
「海老さま」で人気を博した先代の父を19歳で亡くした途端、当人の前から350年に及ぶ市川宗家團十郎名跡に空白が生じた。

『歌舞伎の世界は一代穴があくと、取り返しのつかないことになる厳しい世界』ー12代目の言葉だ。若くして先代に逝かれ、芸の継承・研鑽に人一倍苦労しただけにその芸の風格と重厚な存在感は圧倒的なものがあった。舞台だけではない。大らかで誠実な人柄と何とも言えない可笑しみを醸し出すあの語り口には誰もが惹かれる。歌舞伎を守ることに心血を注いだ。前政権が予算を削ろうとすると、反対の声を上げ国会に足を運んだ。『伝統芸術、文化は日本の顔だ。その顔をつくる未来の子供たちに力を入れてほしい』と。


團十郎さんは「継承・継続と創造は同じ意味だ」とも言っていた。紡ぎだし表現する言葉にはコトの本質を突くものがあった。


大病から復活した5年前、“おまけの命”を頂いたと喜んでいた。まさに、“命を寿ぐ”だった。日野原重明先生の<命とは時間である>という言葉に感銘を受け、『与えられた時間を自分のために使うのも自由。人のために使うのも自由。ただわたくしは、このように紆余曲折を経て与えられた命=時間は、わたくしに、とことん歌舞伎役者として生きなさいという贈り物なのだと思っております』(「團十郎の歌舞伎案内」より)と語っている。

近頃流行りの【宙乗り】演出に対しどのように思っていたか。「そこに能があるのか疑問です」「歌舞伎もそのような危険な領域に入っていかないよう気をつけなければなりません」


歌舞伎には映画産業のような大スペクタクルは馴染まない。行き過ぎてはならない。欲張ってはならない。肥大化せずに、いい意味で“小ささ”を保つ。身の程を知るべしと戒める。
歌舞伎界の代表格たる名跡として王道を歩む正統派の最高峰だったご尊父亡きあとの当代海老蔵さん。そろそろ落ち着きその気になれば、あの研ぎ澄まされた所作と台詞は名優の到来を予感させるものがある。