The nuclear- free-worldに向けて“及び腰”?の被爆国

ナガサキ被爆の日。平和祈念式典にRoos米大使は参列しなかった。核保有国の仏臨時代理大使Francois X. Leger(フランソア・レジェ)氏が初めて訪れ献花した。

レジェ氏は「ここに来ることで、仏政府の核軍縮への気持を改めて示したい」「いかなる国にもあってはならないことを経験してしまった被爆者の証言は、重要な役割を担っており、耳を傾けなければならない」とコメントし「仏政府は核軍縮に深くコミットしている」と強調。そのうえで、ヒロシマナガサキが2020年までに核兵器廃絶を掲げていることについて「敬意に値する」と述べる一方、「核兵器保有国は現実を認識しつつ、国際社会でどういう紛争リスクがあるかも考慮しないといけない。核兵器の削減、完全な廃止は、全世界の人が安心して暮らせるような社会ができてこそ出来うるものだ」とクギをさした。
問題はこのクギだ。そして我が国政府(というより戦後の政治的風土というべきか)の態度と米国内の二分化されている世論だ。

祈念式典に初参加したIAEAの天野事務局長が懸念と危機感を表明している。日本政府が核不拡散条約(NPT)に非加盟の核保有国インドと原子力協定交渉を進めようとしている。田上長崎市長は「被爆国自らNPT体制を空洞化するものであり、到底容認できない」強く批難した。


6日のヒロシマ祈念式典でもそうだ。秋葉市長が「核の傘からの離脱」を訴えているのに、PM Kanは水を差す。「核抑止力」の必要性を説き、“the protection of the US nuclear umbrella”に入っていたいなどと、言わなくてもいいことを言う。「我が国は核廃絶を念願してるものの、核兵器や他の大量破壊兵器が拡散している現実に直面している」と釈明。Pyongyangによる脅威を意識しての本音と心配のようだ。普天間基地の移設問題にも通じる常套的文句だ。
“Was the bombing, along with the one Aug.9 on Nagasaki, really necessary? Are young Japanese today taught enough about the war's history to put this event in the context of Japan's aggression in Asia and its attack on Pearl Harbor? Is warfare on civilians--especially with atomic weapons--ever justified?”
(8/9のナガサキまでもの原爆投下が果たして必要だったのか? 日本の若者は日本軍によるアジア侵略からパールハーバー奇襲攻撃に端を発した一連の経緯をおさえたうえでこの戦争の歴史を教わっているのか? 民間人に対する戦争行為、特に原爆投下は果たして正当化できるか?)

経営難に陥りながらもニュースをセンセーショナルに流さず、良質で客観性と品位を保ったネットを発信するThe CS Monitor com.による重要な問題提起である。
第二次大戦、特に原爆投下の是非をめぐり米国保守層の考えと主張は頑迷である。6日のRoos大使のヒロシマ祈念式典参列に対し“unspoken apology”(無言の謝罪)だと批難したThe Enola Gay機長故Tibbets氏の息子の論調がその典型だ−−“It's making the Japanese look like the poor people, like they didn't do anything. They hit Pearl Harbor, they struck us. We didn't slaughter the Japanese. We stopped the war.”(これではまるで日本人が哀れで罪のない純真無垢の国民に見える。真珠湾を先制攻撃したのは日本軍だ。攻撃されたのは我が国の方だ。我々は日本人を虐殺などしていない。戦争を終わらせたのが我々だ)


65年前The Enola Gayの機上にいた唯一の生き残り航空士Captain Theodore "Dutch" Van Kirkが米露news channel PTで辛辣にコメントしている−−
“The Japanese you know today are not the Japanese we fought during World WarⅡ. We had been in a long war, and had been attacked by the Japanese, and the policy of the US government at that time was to subdue the nation of Japan”(あなた方がこんにちご存じの日本人と第二次大戦で我々が戦ったときの日本人とは同じではない。我々は戦闘が長引き、日本軍から攻撃を受けた。当時の米国政府の政策は日本と云う国を制圧するところにあった)
ブッソウで都合の良い論調だ。我が政府はこうした主張対しに明快に反駁し、核廃絶の先頭に立つことができるかだ。及び腰ではダメだ。国際社会を唸らせる叡智と勇気と行動力が求められている。