心の知能指数

子供の日」になると学校教育の役割と現代の子供の実相を考えさせられる。
某紙の編修委員が第二次大戦中、ユダヤ人迫害の中で子供たちを守ることにその生涯を捧げたユダヤポーランド人、Janusz Korczak(コルチャック)先生の言葉を紹介している--

「子どもたちは知性によってではなく、感性で思考する」
つまりIQではなくEQ(心の知能指数)=「情動的安定と感性の豊かさ指数」の重要性を説いているのである。
ボクはよく現場教師たちを「葛藤する教師を子供は敬愛する」と鼓舞する。
葛藤といえば、子どもを“葛藤している存在”として見ることも不可欠だ。葛藤とは、例えば≪学校へ行きたくない。でも行きたいし、行かなきゃならない≫と悩んでいる状態を言う。The Golden Week Holidaysも終わった。連休明けの子ども・生徒の心理もこのようなものだろう。学校は葛藤があって当然の場所だという視点が必要だ。
≪現代では子供期が消滅し、大人と子供の境界が曖昧になってきた≫≪子供のの消滅という事態によって、学校教育を成り立たせている基本原理が崩壊の危機にある≫--こんにちの特に後期中等教育の断面を言い当てている。
≪子供の尊厳を守りつつ、子供を子供に戻してゆくこと。それをいま、本気で考えるべきだ≫--同感だ。
Bill Gatesの次の指摘も傾聴すべきだろう--
「教育そのそものについて言えば、テクノロジーは問題を解決しない。大切なのは興味を持つ学生を刺戟していくことだ。それは学習意欲を育む環境をつくることである」「教育の目的は、大人になっても好奇心を失わない若者を数多く育てることである。若者が自力で知識を獲得できるという自信と確信を持てれば、それが彼らにとって大変な力となる」

Alvin Toffler曰く「21世紀の“落ちこぼれ”とは、読み書きが出来ないヒトのことではなく、『学んではそれを投げ捨て、また学びなおす』ことのできないヒトのことだ」つまり“learn, unlearn,relearn”。けだし箴言だ。
Michael Endeは現代人の意識について警鐘を鳴らしている--
「ポジティブなユートピアが欠けている。この事実こそ疑いも無く現代の意識の特徴だ。若い世代の意識が特にそうだ。巨大な無気力が支配的になっているのも、こういうユートピアの欠如のせいではないか」

悲観的になってばかりもいられない。ポジティブな生気溢れる若者のも少なくない。大江健三郎氏の言う『魂の力』、つまり若者に≪頭で考え、心で感じる≫“生きるための技術”を醸成し涵養するのが学校教育だ思う。


10代後半の高校生には“柱の傷は一昨年の五月五日の背比べ ちまき食べ食べ兄さんと・・”は昔日の感あり過ぎか・・?