成果主義と“効率”志向に走る公立学校の非文化

東京都に隣接する埼玉県の教育行政にはどうしても馴染めない。
県立高校を次々と統廃合してゆく。進路・進学実績が劣り、在校生徒の非就学率(中退・非卒業率)の高い学校は不要だという考えだ。つまり、低学力生や就学意欲に欠ける指導困難生の多い学校を極力なくしたい狙いがある。
私学に負けてはならぬという、敵愾心にも似た競合意識が強すぎる。それが、私学を必要以上に焦燥感に走らせる。多くの私立高校が大学進学戦士とスポーツ戦士を養成し、それを売り物にしようとしている。
独自の学校文化が薄れ、どこを切っても“金太郎飴”というべし。

昼間全日制高校を統廃合し定時制高校を新設したものの、中学三年生の公立高校への収容面で結果が裏目に、今春思わぬ状況が発生。景気悪化で公立への入学志願者が増えたお蔭で、県立後期試験に定時制志願者が激増、夜間定時制で約50人が不合格となった。特に新設夜間は前期試験で倍率2.25倍の学校も出るありさま、欠員補充した夜間は一校だけとなった。
高校統廃合で夜間定時制とともに全日普通科高校も定員を減らされたことが定時制不合格者激増につながったわけだ。
同県の教育行政は私学補助も含めてお粗末のひと言。

ボクは大学四年のとき、教育実習校として都立工業高校夜間定時制に配属された。生徒の年齢はまちまち、昼間の仕事を終え慌てて登校する30代の男子もいた。すべて勤労学生だ。学力は高くないが、勉強への取り組みは真剣だった。指導教員も厳しかった。実習期間は僅か二週間、そのほとんどが指導担当教師の英語の授業見学に終始し、授業実習はリハーサル一回、二回目が本番と云う過酷で冷淡?なものだ。扱ったリーダーのLessonのタイトルは“An Eye For An Eye”(眼には眼を)、45年前のことだが今も覚えている。それだけ、夜間定時制の実習は鮮烈だった。定時制の授業は進学エリート高校のそれとは正反対である。何よりも生徒たちが苦界にいるということだ。苦界に身を沈めることなく、切実な目標を持っている。
彼等の目標は自活に直結するもので半端なものではなかった。実習期間に逢った夜間生の一人にその後再会したことがある。英語の翻訳術を尋ねに来た。いま健在ならばボクより白髪頭だろう。
偶然、しかもほんの短期日出逢った生徒であってもその後の成長を気にかけ、期待するものだ。
ボクは大卒後、学校教師になる意志を固めたわけではない。むしろ当時、希望する職業の一番遠くにしかなかったのが教職だ。そのボクが、このささやかな短期間の定時制での実習経験を終え、「教師と云う仕事も悪くないなあ」と思わず心の中で呟いたものだ。

そんな実体験をも携え、その後ボクは毎年やってくる教育実習生に藤沢周平さんの次の言葉を伝えてきた--
「教師という職業は、若い私には漠然としかわからないものの、人間の可能性を引き出したり、発見して伸ばしたりすることで、子供が少しでもしあわせになれる方向に導く、やり甲斐のある仕事のように思われた」(「湯田川中学」より)
こんにち教職にあるも者がどれほど職業としての教師の“やり甲斐の基本”をわきまえ、実践志向しているだろうか。

ボクは周平さんの声高でないこの言葉こそ、教師たるべき者が絶えず意識し、わきまえ、実践すべき≪王道≫だろうと考える。
地方自治体の教育行政だけではない。学校現場のトップリーダーや私学経営者も名だけの学校教育の≪覇道≫に走るべからずだ。