“時の切断・断絶”に頭痛と眩暈

新たな時代の到来などという耳障りの良い言葉がよく聞かれるが、“時代の大きな変わり目や断絶”に冷淡だったり、その変化についてゆくのに躊躇した作家や文化人は少なくない。

我が敬愛する藤沢周平さんが他界する二年前の1995年(平成7年)5月に著したエッセイ『ふるさとへ廻る六部は』の中で次のように語っている---
「私が新しい時代に冷淡なのは、それが数数の疑問符つきの昭和の延長であるにもかかわらず、疑問に答える義務を負っていないようにみえるからかも知れないのである」
先日惜しまれて逝ってしまった井上ひさしさんは周平さんと同県人だった。97年1月29日の千日谷会堂での周平さんの葬儀で井上氏は「そうたいしたおつきあいがあったわけではない」と追悼文の寄稿をためらいながらも編者の求めに応じて同氏なりに周平像を記している。
「可能な限り、いわゆる文壇村での交際から遠ざかっておいて、そうして浮かした時間と体力を、あげて小説創作に捧げつくした一人の小説家の像が浮かび上がってくる」「このあたりに藤沢さんの真骨頂がある」と回想する。

“昭和時代の断絶”と云えば1945年8月15日をおいて他になかろう。この日を機に昭和が切断され、時の流れが止まり、途端に逆流しはじめた。

渡辺一夫先生が『亀脚散記』(1947年7月中旬著)のなかで“戦中、精神的栄養失調だった”と自認したうえで、≪頭痛について≫と題する一文を記している。渡辺先生の“頭痛の種”が何であったか。“昭和の断絶”を体験したこの知識人の心理は誠に複雑なものがあった。

「僕は別に頭痛持ちではないが、脳味噌のひだの数がやや他の人よりも少ないせいか、少々複雑な論理に出会うと、それを追ってゆけなくなり、哀れやずきんずきんと頭が痛んでくるのである。・・これもみな戦争のせいで、精神的栄養失調になったのであろうと、強弁せざるを得ぬ。
もっとも僕の頭痛が起こるのは、なにも・・哲学的あるいは数学的命題によってのみではない。戦争で負けて文化国家になるときめた日本には、僕の栄養失調な精神ではとても追ってゆけぬような複雑な論理や言動が横行しているような気がしてならぬ。『もうこうなったらしかたがないね、文化国家になるより外に手がない』などと仰しゃる紳士やインテリ、軍人婦人会町会隣組憲兵巡査の絶大な援護にによって勤労奉仕をして街頭を清掃していた紳士淑女が、文化国民になるとたちまちマンホールを野菜屑で一杯にし、他人が掃除したところは塵棄て場と考え、天下の公道たる街路は誰のものでもないから汚くするのが当然と思っているらしいのも、どうも判らず、頭痛の種となる。
つまり、僕の頭はこれらの言動の論理を追及してゆけないのである。いずれもつまらぬ例で、悟人達識の士から見れば、どうでもよいことだろう。弱った頭脳だから理解できぬのであろうし、こんな非文化国家的な不平をこぼすのがそもそも変であるかもしれぬ」

“昭和の断絶”の日からまもなく65年になる。こんにちの世情は文化国家に進化しているか。街場は一層非文化的様相だ。渡辺先生は何と仰るだろう?
頭痛どころか眩暈(めまい)がしてならぬ。