“解字”から含意を紐解く

漢字一文字を解字すると含意が伝わる。
テツオ・ナジタ氏が大江健三郎氏への書簡の中で≪誠≫を次のように解字している---
「『まこと=誠』という漢字は、知識(言葉を通して知ること=言)と行動(為す=成す)を意味する。二つの要素の融合であり、知ることと行なう、つまり『言を成す』ことこそ『誠=真』である」
見事な解字により字義が明確に伝わってくる。
辰濃和男さんが≪「ぼんやり」と響きあう一文字≫のなかで、『休(む)』に含まれるpositiveな意味を説き、『働(く)』と対照しながら『休』の大切さを強調している。
「人は働くことで、休む時間を得ることができるし、休むことで、生きる力、よりよく働く知恵やエネルギーを得ることができる。『休むこと』は決して負の営みではなく、自分の生きる力を強いものにするための積極的な営みだと思う。休む、という文字は人が木に寄りかかって憩う情景から生まれたという。人が木に寄りかかるさまは、人が大自然に抱かれている姿、あるいは大自然に溶け込んでいる姿だ。自然にとけこむ時間を持つことで、人は、本当の意味で憩うことができるのだ。・・」

自然にとけこむほどの域まで達していないが、このごろ窓外の樹木や花に意識して眼を注ぎ、空を見つめ、季感を覚えながら、休日をぼんやり過ごす機会が増えた。悪いことではあるまい。

話は変わるが、先週の土曜日、高校生を子供に持つ、いわゆる≪団塊ジュニア≫世代の親御さんたち、200人ばかりを対象に少しお話する機会があった。
声高にテーマは示さなかったが、「子供の自律を促すには」とでも云うべきか、家庭の役割としての子供の≪躾≫について触れた。“三つ子の魂百まで”じゃないが、洋の東西を問わず、過去・現代を問わず、子供の(いや大人についても云えるが)≪躾≫は大切で大変。(私事だが、目下、生後四ヶ月余りの柴犬の躾で悪戦苦闘だ)

解字は「しつけは、身を美しく飾るものだから、美と身とを合わせて表わす」とある。
字義は「教え込まれて身についた礼儀作法」。英語でいえばmannersだろう。
≪躾≫の代表的表現が『挨拶』だ。丸谷才一氏の「挨拶はたいへんだ」を何度も読んでいるが、“しつけ”といえば、幸田文さんの『しつけ帖』は愛読書のひとつだ。同書のなかで『挨拶』について語っている----
「挨拶とは、ことばでありマナーである。だが、その源は心ばえである。心がからっぽじゃ、ことばも、ことばに添えるマナーもない。
だから、挨拶が入り用なときは、その事柄へ心こまやかなにするのが先決で、自然にことばは心にひっぱられて出てくる、とわたくしは思う」
まず問題はHeartsのありよう、次にMindsが付随し、Manners, Attitudesに発露していくというわけだ。大人も子供も心に刻むべき教えだろう。