雨傘のなかぼんやりと

仕事休みの日である。たいがい自室にこもり無為に過ごす。惰眠がなんとも楽しい。懶惰は感心しないが、ぼんやりと一日過ごすのもいいもんだ。
朝、ボーッとして起床した。常備薬がなくなったので、慌てて診療所にでかけた。最寄の停留所でパスに乗ろうしたところ、PASMOがない、携帯も忘れ、おまけにベンチで傘まで置き忘れだ。
ぼんやりと大慌てのお蔭でトリプル・パンチを喰らった。
薬をもらって薬局を出るとポツリポツリと雨が落ちてきた。このままだと降られるぞ。止む無く、駅の改札の売店で500円傘を買って都心に向かった。
久々にA書店で時間をかけて新本探しだ。関西弁と標準語をちりばめた特異な文体で注目の芥川賞作家K.Mさんのエッセイを買って、鴨南蕎麦を食べて、銀座に向かった。
身内の個展は雨にもめげず今日もかなりの入りである。今回は出展数は少ないものの、気鋭で異能の写実作家の作品には、レオナルドなどの模写も含めて誰もが魅入られる。有難いことだ。

ギャラリーを出て、長年の親友?とコーヒーでも飲もうかと、手頃な店がないか探す。西五番館街通りに無造作に“珈琲店”の看板あり。地下二階にある古風な店だ。入ってビックリ。壁面に本物の油絵がびっしり飾られている。棚にはアンティーク。オーナーがコレクターのようだが、店に見事な雰囲気を醸し出している。客は多くない。女給さんが品がいい。珈琲のお値段はそう安くないが。この店は穴場だ。

雨の夕方、銀座をぼんやりとぶらりと歩いていたら福を頂戴したというわけだ。帰宅するとビッグニュース。「時効廃止、即日施行へ」「検察審査会、DPJ幹事長O氏の不起訴処分に対し、起訴すべきと検察庁に再審を求める」「都内の人口1300万人突破」ときた。
今日などはまさに「無為」を超えて「閑適」と云うべし。

哲学者の串田孫一先生に「無為の尊さ」なる短いエッセイがある。そのなかで傾聴に値する一節がある---
「ぼんやりしているのは人間とって非常に大切な貴い時間である。単に漠然と貴いと云っている訳ではなく、この間に、本人はどの程度意識しているか分らないが、必ず貯えられているものがある」
ボクは本来物ぐさな人間だと思う。
職場のオフィスでも手足や口を使う仕事がなく独りになれば、ただ眼を閉じうつらうつらと冥想している。
家の仕事部屋では書物に取り巻かれているが、手を伸ばして本を手にするのも億劫になることが少なくない。

良寛の詩にある「空床 書あれども 手伸ばすに 慵(ものう)し」
しばしば実感ピッタリだ。