幸せな≪終焉≫は“かちどき”・・

昨日特記した異色の文庫本「講談社文芸文庫」だが、いま手許に幸田文『ちぎれ雲』がある。著書目録つきで200頁足らずで940円。やはり格別の高値だとはいえ、所収の父露伴の最期をみとった小文≪終焉≫は出色している。

「7月11日朝、祖父の部屋へ掃除に行った玉子が、『おじいちゃん血だらけ』と云って来た」で文章は始まる。おじいちゃんとは文の父、幸田露伴である。
「(父が)身体の向きをかえてくれと云っているので、左下に向け、Dさんは父と対いあい私は脊を見る位置になり、別に痛いとは云われなかったが期せずして二人とも摩擦をはじめた。肩と脊は日々骨立って来ていた。『痩せましたね』『むむ、----』と受けて、『こうしてあっちへ向けてもらったりこっちへ向けてもらったりしているうちに、自然と時が来る』とさりげない調子で云った。私は父の肱を掴んでのしかかった。『おとうさん、そうなりますか』『なる』くるりと眼球が動いて、血の日と同じ優しいあわれみのまなざしが向けられ、深い微笑が湛えられた。
かちどきのようなものにつき抜けられて、『おとうさん、えらいなア』と絶叫した」

「・・・『おとうさん』と呼ぶと、薄い瞼のうちで再びくるりと目が動いて、きつい瞳が見かえした。空襲の日の、文子が死んでもかまわん、それだけのことさと云った時と同じであった。そそけ立って、声をのんだ。目は閉じられ、微笑はひろがり、いつまでも消えなかった。かちどきというものを私は知らない。けれどもそれより外に云いあらわせないものが、そくそくとして溢れた。幸福であった」
「・・(父は)仰臥し、左の掌を上にして額に当て、右手は私の裸の右腕にかけ、『いいかい』と云った。つめたい手であった。良く理解できなくて黙っていると、重ねて、『おまえはいいかい』と訊かれた。『はい、よろしゅうございます』と答えた。あの時から私に父の一部分が移され、整えられてあったように思う。うそでなく、よしという心はすでにもっていた。手の平と一緒にうなずいて、『じゃあおれはもう死んじゃうよ』と何の表情もない、穏やかな目であった。私も特別な感動も涙も無かった。別れだと知った。『はい』と一ト言。別れすらが終わったのであった」

露伴は1947年7月30日に亡くなった。80歳、長命だった。
≪臨終を迎えた父の枕頭で、四方から湧き上がるかちどきの声を聞いたとある。幸福だった。そうきっぱりと書き添えられていた。ここにある複雑のきわまった心境について、改めて何かを書きしるせるとも思えない。ただ、この湧き上がる興奮は、人ひとりの一生の始末を自分の手足で自分の心臓から流れる血の速度を早くしたり遅くしたりしながら、いわば自分の身心を費やして送った人のみが感じえる至福であるとしか言えない。・・・≫
同書のあとがき、中沢けい氏による“人と作品---子の遠慮”の一節である。
父の最期を看取る娘の“かちどき”と“幸福感”とは・・。“天寿を全う”などという常套語では言い表わせない、幸田家ならではの父娘の関係と妙語のやりとりから感得するほかない。それにしても、かくも恬淡と描かれている情景は、一層胸に迫るものがある。