秋色点描

ほぼ快晴の朝である。この八月August(夏の帝)は真昼時も傘が離せなかった。ふと気がつけば、部屋のカレンダーは八月のままになっている。九月にめくる。なぜか、晩夏を惜しむ心持は薄い。

外は初秋の色香が匂う。近くの公園の細道を病葉を踏みながら、行き交う人多し。グランドと空き地に野球少年たちの歓声が響く。


帰宅して上田敏訳詩集「海潮音」を開く。秋の詩といえば、すぐに仏蘭西象徴派詩人Paul Vernaine(ポール・ベルネーヌ)の有名な“秋の歌”のなかの名訳≪落葉≫が口をついてでる。

   秋の日の
   ビオロンの
   ためいきの
   身にしみて
   ひたぶるに
   うら悲し
そして結びは--
   げにわれは
   うらぶれて
   ここかしこ
   さだめなく
   とび散らふ
   落葉かな。
晩秋の詩である。「海潮音」には初秋の詩はほとんど見られないが、ドイツの叙情派詩人Eugen Croissant(オイゲン・クロアサン)の次の≪秋≫に出逢った。
その第二節---
   秋風わたる青木立
   葉なみふるひて地にしきぬ。
   きみが心のわかき夢
   秋の葉となり落ちにけむ。

今朝、めずらしく“秋風わたる(涼風そよぐ)青木立(雑木林)”を少し歩いた。ボクには滅多にないことである。
海潮音」に拾遺されている詩篇を拾い読みしていると、ボクの好みの言葉“邂逅”にでくわした。上田敏先生はこの“邂逅”にルビをふっているが、≪わくらば≫とある。謎だ。その由来とワケを調べなきゃなるまい。