Lido島で Venezia Film Festival開催--メランコリーなThe Merchant of Venice

Veniceと云えば、まず一番に、Shakespeareの“喜劇”の代表作The Merchant of Venice(1956年--1957年頃書かれ、1600年に初舞台化)が頭に浮かぶ。

第一幕のScene 1はVeniceのある街中での場面から始まる。ベニスの商人Antonioと仲間のSalarino, Solanioが登場する。
Antonioの最初の台詞---
 In sooth, I know not why I am so sad:
It wearies me; you say it wearies you;
But how I caught it, found it, or came by it,
What stuff'tis made of, whereof it is born,
I am to learn;
And such a want-wit sadness makes of me,
That I have much ado to know myself.
 数ある訳本のなかでもボクの好みの福田恒存訳は切れがいい。
 “まったく訳がわからない、どうしてこうも気がめいるのか。
  われながら厭になる。なるほど、君たちだって迷惑だろう。
  だが、このふさぎの虫、どうしてそいつに取りつかれたの
  か、どうしてそんなものを背負いこんだのか、そもそも何
  がもとで、どこから生じたのか、それがさっぱり見当がつか
  ない。とにかく、気がめいるばかり、おかげですっかり腑抜
  けのてい、自分で自分の心を掴みあぐねている始末なのだ”

この冒頭のAntonioの台詞だが、二行目のItは何か。このItが当時のベニスの商人が抱いていた心境や置かれていた事情を把握する最大のポイントだ。
文脈からみればこのItはMy sadness。Antonioは自ら説明できない“気の滅入り”に取り付かれていた。Shakespeareはこの冒頭部で、当時の商人の立場を特徴づける窮状を予見しているのである。
それは六行目のwant-wit(=fool)“腑抜けのてい”の気の滅入りに結びつく。そして結びはI have much ado to know myself(自分の心を掴もうと大慌てしている)となる。adoはtroubleの意味。同じShakespeareの喜劇“Much Ado about Nothing”「から騒ぎ」に連関するワードだ。
作者はこの短い台詞のなかで、当時のThe Merchant of Veniceのnameless
melancholy(名状し難い憂鬱)とutterly unlike himself(自己嫌悪)を暗示している。

世界有数の観光地Veniceは言わずと知れた世界遺産だが、皮肉な見方をすれば歴史遺産意識が少し鼻につく。働くも者が住むにはメランコリーじゃなかろうか。



そのVenice本島のSan Marco広場の船着場から水上バスで20分余り、Rido島でVenezia Film Festivalがオープンした。1932年に幕開した世界三大映画祭。今年で66回目を迎える。日本からは塚本晋也監督の『TETSUO THE BULLET MAN』という英語タイトルの作品が参加し、金獅子賞を狙っているというが、なぜ邦題にしないの? 理解できない。
因みに第12回ベネチア映画祭のグランプリ受賞作品は『羅生門』だった。