曖昧な言葉は怪しい−要警戒

昨日の拙文中、義父の生誕100年に当たる命日を8月27日と誤記した。
「7月27日ですよ」と異郷の娘から指摘があった。汗顔の至りである。義父に謝して訂正いたします。
どうも、八月という月は、ボクの心中に鎮魂の気持ちが沈殿しているようだ。6日と9日の惨禍、そして15日。さらには24年前の85年8月12日の日航ジャンボ・ジェットのクラッシュの惨劇など、Augustは後世においても日本史・世界史上、記録される出来事が集中した月である。ボクはこうした大事をいかに表現すべきか。適切な言葉を持ち合わせていない。
今日の某紙で詩人Arthur Binard氏が語っているが「日本では年々・・言葉のすり替え、ごまかしが増加中」だ。
例えば「民営化」「官から民へ」などというと聞こえはいいが、実態は「民」は市民のことではなく、大資本の民間企業のこと。「規制緩和」も所詮は、大企業の寡占化や小賢しい若造の勝手なカジノ資本主義、マネー・ゲームを許すことに相成る。
ボクが初っ端から怪しいと感じた米国製の言葉はGlobalizationとWar On Terrorismである。英米紙のなかにはWar Against Terrorとも呼称しているが、Obama政権になってこの言葉はさすがに聞かれない。「国益」や「国際社会」なる言い方も実態があいまいで、正体は怪しい。例の「サブプライムローン」だが、A. Binardさんに言わせれば“低所所得者たぶらかし餌食住宅ローン“、現在、国会でお流れになりかかっている「・・海賊対処法案」だが、≪海賊≫などというといかにも物騒だが、実体は“追い詰められた漁民”のことだという。
政権交代≫という言葉、≪官僚中心から政治家中心へ≫という言葉も軽薄だ。次官会議の廃止は大丈夫? 結果は、素人政治家が子供だましの政策、リップサービスと飴玉を市民に差し出そうというわけじゃないのか。
言葉の嘘発見能力が問われているこんにち、4月5日に世界に発信したObama Prague Speech On Nuclear Weaponsは歴史に残るものだ。その中の次の言葉は真摯でごまかしは微塵も感じられない。国際社会に対するリップサービスではない。後世のためあらためて原文を転載しておきたい。

“・・as a nuclear power, as the only nuclear power to have used a nuclear weapon, the United States have a moral responsibility to act. We cannot succeed in this endeavor alone, but we can lead it, we can start it. Now, let me describe to you the trajectory we need to be on. First, the United States will take concrete steps towards a world withouut nuclear weapon.”そしてBarack Obamaは率直に続ける。 I'm not naive. This goal will not be reached quickly---perhaps not in my lifetime. It will patatience and persistence. But now we, too, must ignore the voices who tell us that the world cannot change. We have to insist,'Yes, we can' ”
我が国の与党、そして政権交代を掌中に入れたつもりのDPJの幹部の演説や会見のなかにpatience(忍耐力)やpersistence(持続力)などという言葉を耳にしたことはない。