生誕100年の日に“武蔵野の懐かし”供える

今年はその道の大家・巨匠の生誕100年が相次ぎ、記念の催事が行われている。東山魁夷太宰治松本清張、そしてカラヤンだ。
私事に及ぶが、今日7月27日は我が義父の生誕100年である。
7年前、93歳で他界。その2年前の夏、「100歳まで生きるぞ」とかくしゃくとしていたのが嘘のよう。秋11月、買い物に自転車で出かけて転倒、腰を強打して入院したのが拙かった。老木が朽ちるかのように翌春、舞い散る桜吹雪と共に鬼籍に入ってしまった。入院先で生きる意欲を失くしてしまったようだ。
ボクの3人の子どもたちにとって祖父は敬愛する存在だった。70代後半まで長く教職現場にいたからでもあるまいが、孫たちに対して、注意すべきことはしっかり注意し、叱るときは叱り、褒めるべきことはきちんと褒める、博識で好奇心旺盛、明治生まれの叡智ある硬骨な人だった。
今は嫁いだ娘たちが、小学校生の時にもらった年賀状が出てきた。
『新年おめでとう。 お父さんお母さんのいいつけをよくきき、よくあそび、よく勉強するよい子になってください 元旦』
『あけましておめでとう。 昨年はいろいろとがんばりましたね。今年も努力してください 元旦』

我が家のささやかなお仏壇に地元のお饅頭≪武蔵野懐かし 六方焼≫を供える。義父は飲酒も好んだが、大変な甘党だった。
そして、『家に帰ってすき焼きが食べたい』病床での最期の言葉だった。
“年々歳々花相似たり。歳々年々人同じからず”