“与謝野源氏”、伏字を怖れなかった晶子女史

もう一年前になろうか、源氏物語の現代語訳を原典と照らしながら読もうと一念発起して、知友の国文学者にお勧めの訳本を尋ねてみた。『与謝野晶子訳が一番』と即答。
早速、角川文庫の上・中・下巻の中古本を手に入れた。
 紫のかがやく花と日の光思ひあはざることわりもなし
晶子女史はこの歌を序詞として「桐壷」の冒頭部の訳を次のように切り出している。
 “どの天皇様の御代であったか、女御とか更衣とかいわれる後宮がおおぜいいたな中に、最上の貴族出身ではないが深い御愛寵を得ている人があった。・・・”
 この文庫の元のテキストとなっている昭和13年10月〜14年10月初版本では、最初の“天皇”の二文字が伏字とされている。当時の社会情勢が背景にあった。
晶子女史は日露戦争に出征した弟を案じて『君死にたまふことなかれ』を書き、天皇は戦争に行かないのにと嘆くくだりが国粋主義者から非難を浴びたという。

大逆事件で処刑された12人の1人である菅野スガが獄中から、歌人でもあり同事件の弁護人でもあった平出修への手紙に『晶子女史は私の大好きな人にて候。紫式部より一葉よりも』と書き、歌集の差し入れを頼んだという。晶子女史は危険な思想をもって恐れず行動した女性が最も好きだった(歌人:松平盟子氏のコメント)ようだ。

与謝野晶子訳上巻の巻末「源氏物語と晶子源氏」のなかで池田亀鑑は次のように結んでいる。
『わが国の女性は、世界の文化に何を寄与したか、この課題について考えるときに、わたしは世界最古の女流天才紫式部を持つことと、これが精神を近代に展開せしめた女流天才与謝野晶子を持つことを、何のはばかりもなく誇りとして主張したいと思う。そうしてこの一千年の“時”を隔てた二人の女性が、そろって中流階級の母であったという点を強調し、現代の同性の謙虚な反省と奮起を求めたいと思う』
今から35年以上前の平安朝女流文学専門の国文学者のコメントだが今に通じるものはないだろうか・・・。