こんにちでは日常の風景となってしまった“In Cold Blood”

42年前、Truman CapoteのIn Cold Blood『冷血』の邦訳初版本を夢中で読了した。読後の衝撃が忘れられず、すぐに原書を買って読みだしたが、300頁以上に及ぶ長編でもあり、悪戦苦闘し読み終えるのに難儀した。

いま改めて、訳本に折り込まれていたチラシの梗概を再読している。
「くっきりとした青空と砂漠のように澄み切った空気のホルカムという小さな片田舎で1959年11月14日、その地方の名士として人望を集めていたクラター家の四人が、頭を射抜かれ残虐に殺害された。犯人はペリーとディックという二人の若者だ・・・。
 著者カポーティは、この事件を新聞で目にしたとき、ここに自分の文学を構築する素材があることを知り、事件と共に歩み出した。そして犯人が逮捕され、『アディオス・アミゴ!』という言葉と接吻をカポーティに残して13階段をのぼりつめるまでの五年間にわたり、この事件に全生活を投入した。
 そして生まれたのが、著者が“ノンフィクション・ノベル”と呼び自負する新しい型の文学だった。・・・・」

 この梗概の最初の切り出しは、In Cold Bloodの次の冒頭部分を参考にしている---
The village of Holcomb stands on the high wheat plains of western Kansas, a lonesome area that other Kansans call 'out there'. Some seventy miles east of the Colorado border, the countryside, with its hard blue skies and desert-clear air,........
江藤淳氏は「『冷血』は、現代から悲劇というものがまだ喪われていないことを思い知らされてくれる衝撃的な作品である」と評している。
現代はカポーティのノンフィクション・ノベルよりも衝撃的で救いようもない悲劇が日常的に起きている。