話術を超えて“ハナシは人なり”

最近、人前で話す機会が増えた。ノンフィクション作家Kさんが某誌5月号に掲載したエッセイ『講演の名人になるには』が面白い。
ボクも雄弁・能弁ではなく、訥弁の方だが、お蔭でどうすればうまく話せるかを考えることが多い。
Kさんがエッセイにおいて徳川夢精の書いた『話術』に触れている。

『話術』のなかで、聴衆を退屈させず、興味を継続させるための三つの原則としてあげているのは、間の取り方が的確であること、声の強弱や明暗が巧みに配置されていること、言葉の緩急、遅速が申し分なく調節されていることである。話の内容を練り上げ、この三原則を適用したら鬼に金棒だと言っているが、泣く子も黙る名弁士、漫談家の夢精さんのようにいかない。が、その夢精さんが「ハナシは人なり」と言っている。Kさんはその言葉を紹介し、口先でよいことを喋っても、心の醜さは隠せるものではない、講演の名人になる前に、人間としての品格を磨く必要があると結んでいる。

いま、Barack Obamaの演説集・話術を何度も解読し、分析しているが、「ハナシは人なり」という点でJohn MaCainをはるかに凌いだ。たとえば、三回のTV討論でもそうだった。Obamaは政敵McCainに対しても、相手を忌み嫌うかのように突き放すのではなく、誠実に真摯に一人の人間として対応していこうという姿勢から、Obamaの人間としての幅の広がり、信頼感を視聴者に印象づけた。
ObamaはTV討論でmake sure(確実に実行する、誓って実践する)が口癖だった。一方McCainはI know(私は知っている、私には分かっている)だった。
聞き手の方を向きながら現実的に着実に慎重に誠意をこめて行動しようとするのがObamaであり、過去の経歴にすがり、自分の有能さ、信頼性を半ば強制的に聞き手に押しつけようとしたのがMcCain。たかが口癖、されど口癖だ。ここでMcCainはマケタ。
なぜ、日本の総理や大臣の話が、内容が空疎で真実味に欠けるのか。心が醜いとは言いたくないが、Hearts and Mindsに欠ける点は否定できない。