“まくら”は落語の“素粒子”

枕(まくら)は落語のイントロだが、小三治師匠ののま・く・らの右に出る噺家はまずいない。

小三治さんのまくらは、ちょうど若い人向きのエッセイストの文章みたいな、ところと私の好きな、昔ながらの『江戸っ子』的美学みたいなものが、渾然一体となっていて、とても面白いし、すばらしい』南伸坊さんは絶賛する。
ボクも小三治の計算されていなくて磨かれた話術には舌を巻く。まさに“洒落た短編小説のようでもあるし、若い書き手のスーパーエッセイのようでもある”と言われるの頷かれる。

A紙夕刊の「差粒子」はさびの利いたひと言ふた言が楽しみだったが、最近筆者が変わったとたん面白くない。意味がわからない場合もある。これれじゃ一面のイントロにもならないどころか、無意味だ。ライターを代えたほうがいいと思うが・・。