格好だけつけた偽敬語は不愉快-磨くべきは“心の言葉”

「敬意を示したいと思ったら、敬意を持つことのほうが大切で、格好だけをつけたような形骸化した敬語が溢れかえっている」
金田一京助さんのお孫さんの秀穂さんは「僕は祖父の京助からは、言葉とその裏にある真心や誠実さが大切だということを学んだ気がしています」「大切なのは相手を不愉快にさせない思いやりと、その場にふさわしい言葉遣いだ。それが人をつなぐ心地よい言葉です」と語る。
耳障りが良さそうな丁寧語のようで、心地よくない、不愉快な偽敬語の典型の1つが「・・させていただきます」。心にもないこの言い方にはウンザリさせられる。

詩人で故人の高田敏子さんの座談会での発言----
煩わしい敬語なんかない方がよほど合理的で言語生活が能率的にゆくのではないかと発言したあと、次のように語ったという。
『でも私、心の言葉というふうな形でよくお話をするのですが、伝達の言葉と心の言葉と、この二つで私たちの会話は成り立つ。“お茶を飲みなさい”と言われたときの返事は“はい”ぐらい。でも、“どうぞお茶を召し上がれ”と言われれば、“ありがとうございます”と言うふうに今度は感謝の言葉が出ますね。何かそういう意味で敬語というものの、ある必要性みたいなものを感じるわけです。伝達だけだと、伝達だけの返事がもどる』
電話をかける場合の初めの言葉と締めくくりの必須言葉に出逢ったので心に留めておきたい。
『いまお話ししてよろしいですか?』(May I speak to you now?)
で始まり、最後に『どうもお手をとめまして』(Sorry, disturb you.)で締め括る。日本人特有の言い方だが、特に、締め括りは磨かれた心の言葉というべきだ。この言葉を使った女性曰く、“うちでは、祖父も祖母も電話口でいつも使っていましたものですから・・”・・家に伝わるしつけ帖の1つだろう。