「・・等」とは何ぞや--Galの「・・とか」と同じ

米大統領は「一般教書演説」のようなロング・スピーチにおいても通例ほとんど原稿に目を落とさない。President-elect Barack Obamaがその典型だろう。

一方、我が国首相の「施政方針演説」はどうか。原稿の棒読み、草稿に目を落としっぱなしだ。これでは迫力も説得力もあったものじゃない。

もう故人になられた元首相の「施政方針演説」の全文が主要紙に掲載されたことがある。全文とあるから演説草稿だとみてよかろう。
合計字数約1万字、400字詰めの原稿用紙で25枚分に過ぎないのに、文章が重たくシンドイ。
そのワケは・・。やたらに使われるある余計な言葉が邪魔だ。
25枚の原稿に34回も使われていた言葉がある。一例を挙げよう。
『産業構造の転換や労働力の高齢化等の進展の中で・・・“産業・地域・高齢者雇用プロジェクト”等の対策を強力に推進し、また、労働時間の短縮、労働者り健康づくり等を進めてまいります』
これでワン・センテンス。そのなかに≪等≫が三回も顔を出す。≪等≫とは何ぞや。表現の曖昧化、ごまかし以外の何物でもない。駄文の草稿を棒読みする首相。この我が国政界の習性、なんとからないか。
このスタイルは政治家に限らない。学校のお偉い先生のオカタイ話しにもよく見られる。
この≪・・等≫を若いgalが愛用する≪・・とか≫に置き換えてみよう。同レベルの無駄語だ。