亡命と“脱国”

日本という国は亡命には馴染まない国のようだ。
あの15年戦争時、ナチス・ドイツと軍国日本との決定的な違いは、日本では知識人の亡命が極めて稀だったことだ。ここでいう亡命とは「自国の(政治)体制を恐れ、忌避して他国に(政治的理由で)逃げること」を言う。つまりrefugeeである。
同じ戦時、ドイツやオーストリアでは多数のユダヤ系知識人や学者・芸術家がナチスによるホロコーストから逃れるべく、外国に亡命した。アインシュタインからトーマス・マン、シェーンブルグからフリッツ・ラングまで、亡命先は主に米国だった。お陰で、北米の知的風景が変わったほどだ。
「日本人は亡命しなかった。鎖国の時代には外国へ向かう留学生もほとんどなく、長崎へ来る外国人はあったが、長崎から外国への定期的な公認の出国者はなかった。明治以降には多数の留学生や使節団が欧米諸国に送り出された。しかし彼らの中から現地にとどまって帰国しない者はほとんど出なかった。用件をすませると自国へ戻る旅行は亡命ではない。19世紀に『開国』した日本は、外部からの政治的亡命者は公式に受け容れなかったばかりか、日本人外国への亡命をも困難にした」(加藤周一:『日本文化における時間と空間』より)
戦時中、日本から亡命した政治家といえば、大山郁夫、野坂参三佐野碩ぐらいの左翼人だ。
文人や画家たちはどうか。鴎外はドイツに荷風はフランスに長く遊学したが、いずれも帰国して晩年を日本で終えている。荷風は父親の命令によって帰国する前に、たとえ糧道を絶たれても巴里に残って野たれ死にするまで生き続けるべきか、思い悩んだと言っているが・・。
油画家はどうか。亡命画家と呼べるのは藤田嗣冶と国吉康雄だけだろう。
今の日本に海外からの政治的亡命者がいるだろうか。ミャンマー(ビルマ)やチベット北朝、あるいは民族紛争の絶えないアフリカ系の人たちが在日しているが、亡命者として認定されているのか。日本の入国審査は厳しい。政治的迫害を受けている海外の文化人、知識人も亡命国の対象として日本を避けているようだ。何故か?