台詞の洪水

本日も私事を記す。
今年最後の文学座の公演を観にいった。12月の「アトリエの会」の芝居だが、信濃町のアトリエは改装中なのか、今回は吉祥寺シアターに出向いた。武蔵野文化事業団が3年前に立ち上げた近代的小ホールだ。信濃町のアトリエを一回り大きくした小屋で、とても観やすい。

出し物は米劇作家ユージン・オニール(Eugene O'Neill)の特有の“しゃべくり芝居だ”。米国近代劇を築いた劇作家として余りにも有名だ。ボクは『楡の木陰の欲望』や『喪服の似合うエレクトラ』などを知る程度で、1936年にノーベル賞を受賞するなど、演劇界では知らない人はいないだろうが、著名な割には、戦前の作家としてこのところ舞台に上ることは少ない。
それもそのはず、オニールの戯曲と云えば台詞が長く、その量の膨大さに辟易とする。

今日は千秋楽。戯曲の原題は“A Moon for the Misbegotten“
喜志哲雄氏による邦題は『日陰者に照る月』。まさに名訳だといえよう。
「戯曲を手にして、さてこれを読むのか?と思うと、正直、気が重くなる」と演出の西川信廣氏。「そのまま上演すればゆうに三時間半は越えようという台詞の量だ」という。
「言葉をしゃべるということは体力、エネルギーを使う。しかし、その行為が新しいエネルギーを生み、それが相手をも動かし、また何かが動き始める・・」と演出者は語る。
『日陰者に照る月』は上演の為に台詞はカットされていたようだが、それでも相当な量だった。
登場人物は五人。そのうち三人は出番では“しゃべりまくり“だった。
「最近の日本の現代劇が軽やかで、口当たりがよく、短い台詞のやり取りが多いなか、オニールの台詞・言葉はその対極にある。私はオニールの密度の濃い台詞と俳優の身体が相まって生まれるエネルギーが劇場を満たしたとき、演劇ならではの世界が生まれると信じている」と西川氏は述べている。
さらに、ボクに言わせれば、台詞の洪水の舞台は観る者との格闘の世界を醸成する。