深刻化するschool violence(校内暴力)-背景と深層は?

小中高生の校内暴力件数が激増し過去最多を記録。文科省の調査結果は極めて深刻である。小中高とも増え、小中生徒の件数が前年度比、1.2倍-1.4倍に上っている。
教育評論家は「競争や経済悪化が影響」「数値目標を掲げた成果主義、習熟度別授業による差別選別が生徒のストレスを増幅している」とコメント。教委関係者は「愛に飢えている子供は自暴自棄になりがち。問題行動で注意されると怒りが爆発し、教師の何気ない一言が暴力を誘発する」と論評する。
これらの指摘は的を射ていると思うが、school violenceの現実を目の当たりにし、対応に追われた経験のあるボクに言わせれば、校内暴力、特に生徒による教師への暴力行為の現代的背景として次のことが言えるのではなかろうか。

子供の情意的な部分や社会性の涵養の主たる場は家庭にあるということ。果たして親が子供に正面から向き合い真剣に話をし、正不正、善悪の区別について毅然と問いかけたことがあるか。幼い頃の子供が悪さをしたとき、涙ながらに叱り、諭したことがあるか。教師とて同じだ。嫌悪感や偏見なしに、問題行動に走る生徒を本気になって厳しく注意したことがあるか。そのときどのような言葉を使うか。落としどころはその生徒の改善への期待と励ましである。
さらにいえることは、携帯電話やメールなど、目に見えないコミュニケーションが大人と子供、大人同士、子供同士の付き合いや、交流の主なツールとなっている怖さである。こうしたこんにちの潮流のツケが言葉の欠落した問答無用の暴力行為の頻発につながっているといわざるを得ない。
欧米の高校を何度か訪れたことがある。米国など公立高校などで異常者による銃乱射事件など悲劇が発生しているが、普通の生徒が言っていた「生徒は先生を尊敬すべきものと思っています」
我が国の『三歩下がって師の影を踏まず』は今や昔話、死語になっているようだ。