いま求められる“偉大な普通人”

衆院解散・総選挙が近づいている。知名度を利用して新たな候補に担ぎ出される若手もいれば、功なり?名を遂げた元首相など突如不出馬宣言して、周囲を驚かせる人物もいる。
社民党女性党首も引退するらしい。89年「山が動いた」との名言を残した護憲政治家は「議員でないと政治活動ができないということではない」と、静かに政界から身を引く。
この国の政治はどのようなリーダーを求めているのだろうか。ポピュリストでもなければカリスマでもない。ワンフレーズとキャッチコピーの異色の人物でもなかろう。
世界は異なるが、先日他界したPaul Newmanがかくも長きにわたり最晩年まで米映画界をリードし、優れた映画人たちの尊敬を得たのは何故だろう。

アンチ・ハリウッドのヒーローだっただけではない。米国映画史の大きな流れを常に切り拓き、多彩な活動を通じて、世界をより良くする努力を惜しまなかったからだろう。
彼は、“最も偉大な普通人”(エレナ・ウマーノ)であり、その晩年は
“老いずに成熟したスター”(同上)だった。