中国の人たちの心底に宿る“美(しい)国、米国”への(片)想い・・

北京の中心街、王府井(ワンフーチン)の大通りに大きな書店がある。北京滞在中には必ず立ち寄り、外国書のコーナーに足を運んだ。日本語や日本文化関係のもの極めて少ない。美国の雑誌、美国の単行本がずらりと並び、学生たちやビジネスマンが群がっている。
中国語で米国を「美国」と呼ぶ。
一昨夜の女子サッカー準決勝、日本と米国のゲームをTV観戦した人の多くが気がついたはずだ。アメリカ・チームへの声援が圧倒的に大きい。中国中央テレビ局の流す国際映像も7・3の割合で米国に肩入れしていた。前日に中国チームが日本に敗れたための敵対心の表れかというそうでもない。
他の競技会場の風景を見ればわかる。中国の特に若者や幼い子どもたちが中国と米国の旗をかざし応援している。自国への愛国心に燃えるある家庭の主婦がふと漏らした。
『中国はメダルの数でアメリカを抜いて1番になってほしい。でも金メダルはアメリカで中国は銀でいい』
なぜ中国の人たちはMichael Phelpsや米プロ・バスケのスター、Kobe Bryantを声をからして応援するのか。NBAで活躍中のYao Mingを英雄に持ち上げるのか。経済力の象徴であるドルと国際語Englishによって世界に君臨する「美国」、アメリカへの羨望が心底にある。そこには一種の実利主義が覗われる。米国への熱烈声援によって見返りを求めているようだが、アメリカは中国に感謝しているだろうか。
「米国抜きにグローバリゼーションは存在しない。米国抜きに中国の繁栄はない。我々はアメリカに感謝しなければならない」とするのが一般的な中国人の想いだろう。
が、米国の外交政策は多面的で重層的、複雑である。「美国」米国は“美しい国アメリカ”というわけにいかない。「美国」は「徳国」(ドイツ)ではない。中国の片想いでなければよいが。