学校への親の満足度がアップしたというが、期待度の低さの裏返し?・・問題は親のニーズ

最近、学校で「保護者の満足度」が盛んに取り上げられる。特に私学ではそうだがCS(Customers Satisfaction=顧客満足度)なるものが強調される。ボクなどが学校に通っていた時代およそ耳にしなかった言葉だ。
先ごろ、A紙とB教育研究開発センターが公立小中に対する保護者の意識調査を実施した。その結果、親の満足度が8割に達し、教師への評価も高まったという。結構なことだが、その内容を見ると、「学力向上への取り組み」「学校からの情報提供」「マナーやルール指導」など。「先生の教育熱心さ」への満足度もアップしている。
公立中に見られる、塾と連携した独自補習実施の流れや授業時間数の確保など、子供たちを学校に繋ぎとめようとする取り組みの成果の表れかと思われる。もっとも、子供の教育に対するニーズの高い保護者、つまり私立や国立に子供を通わせている公立学校への不満層や経済的に豊かな層は調査対象から抜け落ちているようだが。
ボクの持論だが、学校はまず安全で、安心して生活できる場である点が一番大切だ。最近最も危いのはこの点だ。街中はなおのことだ。夏休みに入ったが、子供たちの姿がない。少なくとも子供らしい群像が見られない。少年野球やサッカーの試合には親が付き添い熱狂している。あの子供期特有の遊びの姿や語らいを目にする機会が極めて少ない。子供はどこへ行ってしまったのか。家の中で、Net Kidsやceller phone kidsにはまっているのでないだろうか。夏休を短縮し、授業や補習を増加させようという流れも強まりそうだ。
ボクは学校教育とは何かを考える。「学校なしに子供を街中に放り出しておいては身につかないもの何か」と問いかける。
それは≪ネットやマスコミなどのメディア、そして国家に左右されず自立した判断をする能力であり、技術革新の激しい時代を生き抜いてゆく職業人としての素養≫だろう。これが小中高を問わず学校固有の役割であり、本来の学校文化のあり方はこの点においてこそ問われるべきだろう。
こんにち、子供期が消滅し、大人と子供の境界があいまいになってきている。親がそのことに気づき、そのうえで、いま学校に期待するものは何かを大人自身が自問する必要があろう。